武田の伝説感じる、かえさ城。
替佐城跡の特徴
武田氏が築いた飯山城の抑えの城がある史跡です。
替佐駅からの登城は山桜が美しく楽しめます。
城址は公園になっていて散策ができますが、道が狭いです。
かえさ城永禄7年(1564年)ごろ武田方の前進基地として築城されたと推定されるとのこと。城域は本丸、二の丸、三の丸と周りを取り囲む腰曲輪、帯曲輪、堀切からなる。駐車場(案内板、簡易トイレ?有)の直ぐ上部が城域で主要曲輪は草刈もされていて気持ちよく散策できました。ただ三の丸の南側下部は雑草であきらめました。
たいしたことないとおもいきや、遺構が良く残っている。
武田による上杉の飯山城抑えの城。眺望はなかなか。城の近くに駐車場有りだが、途中のすれ違いは厳しく、登りのヘアピンは切り返しが必要かもなので要注意。
替佐駅から歩いて登城しましたが、車だと上まで行くことが出来ます。標柱、説明板のある登城口から登りましたが、雨上がりの時には、水が上から流れてきて滑りやすくなっていますので、注意が必要です。段曲輪だったところには、紫陽花が多数植えられていてきれいでした。
替佐城跡形状:山城(460m/120m)文化財指定:市指定史跡遺構:土塁,郭,堀城主:小幡信貞歴史:築城年代は定かではないが永禄7年(1564年)頃に武田氏によって築かれたと云われる。替佐城は対岸の壁田城とともに飯山方面の上杉氏に対する備えとして、武田氏が築城あるいは改修したものいわれ、城将は小幡上総介信貞と伝えられる。説明:替佐城は千曲川の西岸にあり、替佐駅の西、温泉公園の北、標高460mの山頂に築かれており、現在は公園として整備されている。替佐城は西の山頂に主郭を配し、そこから南東に伸びる尾根に二郭、三郭と堀切で区画して連ねている。 主郭には土塁はなく削平地のみで、一段下がって周囲に帯曲輪を設けている。虎口も明確ではないが、北側から出入りしていたようである。空堀を挟んで東にある二郭は中央がやや高く二段になっている。さらに空堀で隔てて南に三郭がある。三郭の南から東斜面には畝状竪堀群があり、その下には横堀、そしてその中央から更に竪堀が一条落ちている。この横堀は山城では珍しい水堀で、現在でも水が溜まっている。さらに注目の遺構が主郭の北側の斜面に残る。ここには深い明瞭な竪堀と浅く短い竪堀で畝状竪堀群を形成する。北西尾根にも二重堀切のあと深い堀切が二条あり、その脇の竪堀は斜めに落ちる竪堀となっている。二郭から北東に伸びる尾根には五輪塔三基が残っている。この下には馬場や馬出といった名が残るが、削平地のみのようなので確認していない。案内:国道117号線沿いにある豊井小学校を目指す。小学校の前から西の谷沿いに入って行く道があり、温泉公園手前で北の山に入る細い道に入り登っていくと、中腹にある駐車場に達する。
標高463m、比高約120m。駐車場あり、トイレあり、説明板ありの指定史跡。公園化されて主郭、二の丸、三の丸など散策道もキレイに整備されてる( ̄ー ̄ゞ-☆気温35℃の猛暑日に来てしまったゆえ、あずまやで休憩。ディープな奥の搦手は草ボーボー畝状竪堀群がよくわからない(*T^T)堀切はなんとか肉眼では見える♪真夏に来て遺構を観察するもんじゃナイとおもいつつまた草の消えた季節に〰️(⌒0⌒)/~~2度目は22/12月に再訪🏃道路の表示板は「-4 ℃」だった🌡️早朝は霜がおりてて地面が白い❄️曲輪からの眺めは雲海🌫️👍️主郭背後にまわると幅広大堀切♬そして太めの畝状竪堀♬さらに大堀切♪は竪堀♪が長く深いさらにさらにラスト大堀切♬ドーン間に土塁残り♪の小曲輪他の場所にも竪堀&竪土塁♬のウネ横堀&湾曲した土塁♬段郭♪いっっぱい大手道には水場に馬場跡♪は畑🤣麓は高速道路で破壊されてる➰😭自分のカメラ📷️に収まらない 主郭背後3つの大堀切♬は時間を忘れてしまう お宝✨でした👍️
山桜がキレイでした。
武田氏の出城だそうです。
城址自体が公園になっているのですが、行きつくまでの道が解りにくい事と道が狭いことです。駐車場自体も狭く3台くらいのスペースになっています。城廓自体はとても良いと思います。
| 名前 |
替佐城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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