歴史の息吹感じる、台渡里遺跡群。
台渡里官衙(かんが)遺跡群・台渡里廃寺跡の特徴
国の史跡に指定されている台渡里官衙遺跡群は、歴史を感じさせます。
古代東海道の終点に位置する重要な中継点として知られています。
台渡里廃寺跡は3つの地区に分かれた興味深い遺跡群です。
この辺りは台渡里遺跡群(廃寺跡)と呼ばれていて、3つの地区に分けられています。ここはその内の1つの観音堂地区。門や講堂、そして金堂等の建物跡が見つかっていて、7世紀後半に建てられた寺院跡地と推定されているそうです。また、出土した瓦には"徳輪寺"と記されていたとの事。因みに八幡神社が鎮座されている周りに、土塁がありましたがこれは一体……?💦
古代東海道の終点、石岡の「常陸の国府」から東北方面に向かう街道の中継点でこの先那珂川を渡り北に進む道がありました。今でもその道すじは残っており、寺社が点在しています。この遺跡群は何年にも渡り発掘調査が行なわれている貴重な場所です。歴史好きなかたは古代の街道をたどってみてはいかがでしょうか。
見た目はただの原っぱですが、国の史跡に指定されている。台渡里廃寺跡は、那珂川右岸の標高30mの台地上の水戸市渡里町に所在する2つの古代寺院跡で、それぞれ北側が観音堂山地区、南側が南方地区と呼ばれ、わずか150m程の距離をおいて2つの寺院が造営されていました。観音堂山地区の寺院跡の焼失痕及び出土遺物等から、観音堂山地区の寺院跡が白鳳時代に造営されたものの火災によって焼失し、その後南方地区の寺院跡が平安時代に建替えられたものと考えられています。 観音堂山地区の寺院跡では、推定範囲東西126m、南北156mの寺院地内から講堂跡、金堂跡、塔跡、中門跡、経蔵跡あるいは鐘楼跡に想定できる礎石建物跡が6棟確認され、7世紀後半から7世紀末に造営されたと考えられます。また、礎石建物の造営と並行して、東西90m、南北58mにもわたる大規模な整地事業を実施していること及び礎石建物には3期の変遷があったことが確認されました。9世紀後半には火災により廃絶したと考えられています。 南方地区の寺院跡では、推定範囲東西220~240m、南北210m以上の寺院地内に塔跡、金堂跡に想定できる礎石建物跡が2棟確認されており、9世紀後半頃から造営されたものの、途中で10世紀初頭には停止した可能性が考えらます。 台渡里廃寺跡を特徴づける遺物として、多量の瓦とともに、塔の上に飾られた相輪を描いた瓦や仏像の鋳型、塑像、金箔製品、塔の上に飾る相輪の一部などの多彩な仏教関連遺物が出土しています。また、「徳輪寺」、「仲寺」と書かれた文字資料から、台渡里廃寺跡は2つの呼称名を持っていたことがうかがえます。「仲寺」は地域の名前と想定されること及び北側の隣接地に官衙の正倉と想定される遺構があることから、台渡里廃寺跡は、常陸国那賀郡衙に関連する寺院であったと考えられます。 さらに、「吉田」「川邊」などの那賀郡の郷名や「年足(としたり)」のような個人名を書いたと考えられる文字瓦等が確認され、台渡里廃寺跡の造営の様子や常陸国那賀郡の実態等を考えるうえで重要な資料です。 このように、台渡里廃寺跡は、7世紀後半から10世紀初頭にかけての2つの寺院跡で、その規模、配置等を明確な形で検出し、地区を移転して建替えたことが判明しました。常陸国那賀郡衙に関連する寺院であった可能性が高く、関東地方における初期古代寺院の造営から廃絶に至る経過を良く示すものとして重要です。
| 名前 |
台渡里官衙(かんが)遺跡群・台渡里廃寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
029-306-8132 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
特に何かあるというものでもないです歴史的な場所という事で、残してあるのだと思います。