吉田城跡、歴史を感じる常照寺。
吉田城跡の特徴
土塁と空堀の歴史を感じられる場所です。
吉田城は水戸城の支城としての役割を果たした名所です。
常照寺の門前に位置し、石碑も見応えがあります。
常照寺の乗る丘陵が城跡です。常照寺山門の脇に城址碑があったことを、帰宅して写真を見て知りました…。遺構はよく残っています。残っていますが、その殆どは薮になっていて、写真映りもよろしくありません。常照寺本堂がある付近が主郭で、そこから丘陵先端側にII郭があります。II郭は参道で分断されてますが、そのどちらにも遺構が残ります。が、北側は薮、南側も郭内は墓地となり、かろうじて残る土塁も薮化しております。II郭と主郭の間には大きな空堀がありますが、これも薮です。主郭裏手にはL字に空堀が残りますが、外から見ると薮で覆われており、内側に土塁が伴うようなのですが、よくわかりません。常照寺南西の広大な広場は外郭的な空間ですが、もともとそんなに遺構は無かったのか、今は平らな空間という認識しか得られません。しかし、この空間の南端、蓮乗寺との境付近は道路になりつつも丘陵が狭くなっているのが伺えます。城は、当地に入封した常陸大掾氏の盛幹が吉田二郎を称し、その裔吉田太郎清幹が築城したとされています。この頃は丘陵の先端か、常照寺付近のみの小規模な城館であったと思われ、戦国期に至って、現在のような丘陵全域を城域とする複郭の規模の大きな城郭になったと想定されます。佐竹氏が水戸城に入ると廃城となったとされていますが、一説に佐竹氏家臣の車斯忠が居城としたとされています。
2025/8/9南側にある蓮乗寺から攻めた。この寺も素晴らしい。細い道を歩くと城跡である常照寺のお墓に着くが、道の両側には堀がはっきり遺っている。お寺を抜けて一旦山門に向かい、引き返した。神々しい杉並木の向こうに冠木門が見える。途中右手には土塁と空堀がある。なかなかの規模だ。しかしこのお寺はほんとに素晴らしい。
土塁と空堀が残っているがやぶの中。水戸駅からバスで行きました。
鎌倉時代初期に大掾盛幹がこの地に館を建てたのが吉田城の始まりと言われています。その後、大掾氏から江戸氏→佐竹氏へと移っていきます。佐竹氏の時代には水戸城の支城として機能しました。関ヶ原の一件で佐竹義宣が秋田に転封され、吉田城は廃城となった。その後、徳川光圀により常照寺が建立され現在に至ります。常照寺の周りには空堀や土塁も確認できます。城の規模としてはさほど大きくはないようでした。
吉田城は水戸城の支城だった。佐竹氏の重臣・車丹波守斯忠の居城として知られる。関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田に転封されたことに伴い、廃城へ。このとき斯忠は徹底抗戦を唱え、水戸城奪還を企てたものの捕らえられ、磔刑に処せられた。現在城址は徳川光圀によって建立された常照寺の境内となっており、土塁や空堀などの遺構が残っています。
石碑は、山門の右にあります。境内を普通に歩いていても、何処が城跡なのかわかりませんが、第ニ山門の手前両側に空堀と土塁があります。本堂の左奥の道の左右には、空堀があります、他にもよく見れば遺構らしき不自然な地形があるかも‥‥‥?! 常照寺池は、濠の一部か?尚、お寺は綺麗に清掃されとても良い雰囲気ですのでお薦めです。
常照寺の門前にあります。
| 名前 |
吉田城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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吉田城跡は、水戸駅の南東2.7kmほどの茨城県水戸市元吉田町に伽藍を構える臨済宗大徳寺派の常照寺の境内にあります。吉田城(常陸吉田城)は、平安末期に常陸平氏・大掾(だいじょう)氏の一族である吉田清幹によって築かれたとされます。その後、江戸氏の支配を経て、戦国末期の天正18年(1590年)に佐竹義宣が水戸城主となると、水戸城の拡張に伴い廃城となりました。城郭遺構: 現在も本堂の周囲や墓地付近には、中世の山城特有の土塁や空堀が良好な状態で残されており、往時の堅牢な構えを偲ぶことができます。常照寺は、水戸藩第2代藩主・徳川光圀(水戸黄門)によって元禄年間(1688〜1704年)に創建されました。光圀は京都・大徳寺の仰堂(こうどう)和尚を迎えて開山とする予定でしたが、和尚と光圀の両名が相次いで没したため、実際の創建は元禄13年(1700年)に敬峯(けいほう)和尚によって成し遂げられました。光圀が晩年に隠居した西山荘に近い場所にあり、彼が生涯で最後に創建した寺院の一つとして知られています。