静かな木津の神社で新たな出会いを。
御霊神社の特徴
御霊神社は、木津三社の一つとして地域に根付いた神社です。
新しく改装された社務所と清潔なトイレが訪れる人を迎えます。
国道163号線の渋滞時に便利な場所に位置しています。
今までと違う道を走ると新たな出会いがあるものです。清々しい神社と巡り合いました。神恩感謝。
とても綺麗に手入れの行き届いた神社で気持ち良かったです。右手から裏に周ると、夫婦杉?お稲荷様、奥の拝殿に周れました。
木津川三社の一つ 立派な鳥居と拝殿、鳥居の扁額はとても興味が引かれます、最近社務所も改築されて様子です、木津御輿太鼓祭が10月にあるそうで 敬神組・拝神団・義友会・小寺・社町の5台の御輿が、10月後半の土曜日・日曜日のどちらかの1日に、御霊神社・岡田国神社の内の一社にまいっており、市の指定無形民俗文化財になっていうそうです。
国分尼寺の守り神として橘諸兄が造営したのが始まりだそうです。大変綺麗に手入れされていました。
本殿は三間社流造り桧皮葺で奈良時代の行基の開祖と伝えられています⁉️重要文化財です‼️
木津 御霊神社(ごりょうじんじゃ)祭神大國魂命(おおくにたまのみこと)生國魂命(いくくにたまのみこと)稲倉魂命(いなくらたまのみこと) 摂社 菊永神天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこめのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと) 摂社 瀬織津姫姫命木津三社(岡田国神社、田中神社、御霊神社)の一つ。聖武天皇が東大寺大仏殿を建てたとき、その余材でこの土地に国分尼寺(誓願寺)が建立されたので、この寺の守り神として神殿を造営した。御祭神として、木津郷黒山(現在の鹿背山)より 大國魂命、生國魂命の二神に遷座給わる時、大白玉 が空中より天下りて光を四方に放ち、金剛童子に神移らせて、「この地を永く鎮護するため降臨する吾は 「稲倉魂命」と名乗られたので、聖武天皇は直ちに稲倉魂命を合わされて祭祀され、白玉神社と名付けられた。貞観十八年(877)、清和天皇の時代に天穂日命・天津彦根命・活津彦根命三神が勧請された記録がある。1730年に社殿が再建され、名称が御霊神社となり現在に至る、とある。早良親王・藤原廣嗣・伊予親王がいつどのような経緯で祀られるようになったかは由緒には書かれていない。境内の真ん中に砂モチがある。パワースポットでこの砂を持って帰ると良いそうだが、なんだか畏れ多くて触れなかった。
木津三社との事で訪問。こちらも立派でした。何か不思議なパワーが感じられました。社務所が真っ新でした。
木津国神社、田中神社とともに木津三社に数えられている木津の産土神とされている。当初は非業の死を遂げた者の霊を鎮めるための『御霊信仰』に関わる神を祀っていたようだが、現在は天之穂日命、天津彦根命、活津彦根命が祭神となっている。876年、清和天皇による天下太平、悪鬼防御の守護神として大路村に創建されたが、1973年に日本住宅公団の木津ニュータウン建設に伴って、現在地に移り、1983年、社殿が造営された。10月第四土曜、日曜に開催される木津川市を代表する秋祭り・木津御輿太鼓祭で賑わう。17/11/05、参拝。
広くて静かな神社🙋
名前 |
御霊神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0774-73-8191 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
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文化庁の文化財データベースによると、重要文化財の御靈神社本殿(旧燈明寺)の位置情報がこちらとして示されているが、間違えていいるので注意が必要です。正しくは、「〒619-1112 京都府木津川市加茂町兎並寺山42−44」にある御霊神社本殿が重要文化財に指定されています。