ペンシルロケット発射の地。
日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑の特徴
糸川英夫博士がプロジェクトマネージャーの歴史的な地です。
1955年に行われたペンシルロケットの実験が行われた場所です。
隣には王貞治さんの記念碑もあり、訪問価値が高いです。
糸川英夫博士をプロジェクトマネージャーとする、日本のロケット研究チームが、この地で、1955年(昭和30年)4月12日に、23cmの「ペンシルロケット」の水平発射実験を行いました。この地は、元は「南部銃製造所」があり、戦時中は「新中央工業(株)」として、従業員6千名を超える大銃器工場があり、実弾射撃場が残っていたのです。その後ロケットは、カッパーロケット、ラムダロケットと進化し、ついに、1970年2月11日、ラムダ4S型ロケットで人工衛星の打ち上げに成功しました。世界で、ソ連、アメリカ、フランスにつぐ四番目の成功でした。最近では、宇宙探査の技術は飛躍的に向上し、「はやぶさ2」のような惑星探査機により、小惑星の石を持ち帰り、世界を驚かせる成果を上げるまでになりました。このような成果も、国分寺市本町の「ペンシルロケット」水平発射実験からスタートしており、日本の「宇宙開発発祥の地」が国分寺市内にあることは、誠に喜ばしい限りです。
2019/02/23 訪問Geocachingというゲームで訪問しました。へー、あの糸川博士がここでペンシルRocketをねぇ~
日本の宇宙開発偉大なる功績を称えた石碑なのですが、個人的には松本零士のイラストは蛇足かなぁ…と言う気がしてしまいます。すぐ隣が王貞治の記念碑と言うのも奇妙な気分にさせられます(笑)。
隣には早実高校出身の王貞治さんの記念碑も有ります。
ここでペンシルロケットを水平発射したとか!
名前 |
日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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宇宙開発発祥の地記念碑と右隣に王貞治さんを讃える石碑。王さんがお元気な内に宙と野球と国境を越える世界を見て頂きたいなと思いつつ。