島左近の墓所で歴史を感じる旅へ!
嶋左近尉(島清興)のお墓の特徴
大きな宝篋印塔が目印の霊園にあります。
島左近(清興)が眠る歴史的なお墓です。
右側東大寺墓地内に位置する霊園です。
島左近さんのお墓は、多聞城を見下ろす丘の上にあります。島さんが生まれた頃、大和の国で隆盛を誇っていた松永弾正さんが作った城跡が見下ろせています。その城石は筒井順慶さんの大和高田城に運ばれたと記載があります。これも何かの縁ですかね。お墓は安倍晋三さんのお墓からかなり上り、入り口がわかりにくいので、よく注意して進みましょう。
大きな宝篋印塔が目印になります。
もともと生駒山ろくの大和国平群あたりの領主で、"天下分け目の山崎合戦"では『洞ヶ峠を決め込んだ』筒井順慶を支える武将だった島左近だが、のちには四万石の石田三成に『君臣禄を分かつ』破格の待遇で迎えられ、『三成に過ぎたるもの』と言わしめた。”天下分け目の関ヶ原合戦"では徳川方から『誠に身の毛も立ちて汗の出るなり』と言われ、有利に戦いを進めたが、小早川秀秋の裏切りから西軍は総崩れとなり、乱戦の中、黒田長政軍、田中吉政軍などから銃撃され、61歳で戦死したという。この三笠霊苑のほか、京都の立本寺塔頭・教法院墓地、遠くは対馬や陸前高田に墓があると言われており、浜松市や東広島市に末裔の人たちが居られるそうだ。24/02/10、奈良市観光協会の路地ぶらで公開された五劫院、空海寺をお詣りする前にこちらを初めて訪ねたが、1992年、五劫院が建てた石碑のとなりの墓石だそうで、石碑がなければわかりにくい。ひっそりしたお墓の意味は、関が原で敗れた側なので、生死を知られたくなかったのだろう。
うちの墓がある三笠霊園にあります。
筒井順慶の家臣として、関ヶ原では石田三成の軍師として活躍した島左近(清興)のお墓です。滋賀県佐和山のゆるキャラである、さこにゃんがお墓参りに来られた写真の場所はここです。
クネクネと登っていく車道をまっすぐ、墓園に入ったら真っ直ぐになる車道をさらに上り突き当たり付近の右側東大寺墓地内にあります。それでも分かりにくく、この写真の案内碑を目印に行くしかありません。小さい墓石ですが、確かに嶋左近と書かれています。こんなところに島左近のお墓、歴史のロマンですね!
治部少(三成)に過ぎたるもの二つあり島の左近と佐和山の城。
世に「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」とうたわれた石田三成の重臣島左近の墓所は京都市の立本寺(りゅうほんじ)にもある様で京都のは土葬らしい。奈良のこんな近くに島左近の墓が在るなんて。手貝門の辺りから東方三笠山の山麓に巨大な三笠霊苑が在ります。まあバスで行けるし、なんて甘く見ていたらこの広大な三笠霊苑の中の一墓所をどうやって探すんだ! 指標は唯一、近くの五劫院建立の「島左近尉墓所」という石碑のみ。諦めて帰りかけたんだけど…後色々調べてみたら中央の宝篋印塔は東大寺塔頭清涼院でその墓域を囲むように他の墓石と共に並んでいる墓石の「嶋左近尉墓所」の石碑の隣に在る小さな墓石が島左近ものだそうです。それでここら辺は東大寺墓所といわれている場所です。ここからは、奈良市内を一望出来ます。島左近の関ケ原後については諸説ふんぷんで墓所も奈良以外に何カ所かありますし、30年ほど生きていたという説もあります。ふ~…
先祖の墓がこの霊園にありますが、左近の墓が有ることを知ったのはつい最近のこと。
| 名前 |
嶋左近尉(島清興)のお墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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石田三成の腹心で、さまざまな逸話のある武将島左近の墓所です。全国に5か所ほど墓所があるとか。昔から行きたかったのですが、ようやくお参りすることができました。高台にあり、目の前はかつて左近が仕えた筒井家の宿敵、松永久秀の多聞城趾が見渡せる場所。歴史は奥深いですね。墓所までは少し迷いますが、周りは霊園ですので、静かにマナーを守って訪問することをお薦めします。