山の手通りで見守る丸石道祖神。
摩利支天尊堂の特徴
交通の交差点に位置し、丸石道祖神が見守る神社です。
山梨県にある刑場との関連を考察できる特別な場所です。
信号待ちの際に神社を発見できる隠れたスポットです。
線路、山の手通り、中央本線など交通の交差する点にあり、この辺を見守る「丸石道祖神」のあるスポットの一つ。土地神様を祀ったり、周辺の守護を願っての丸石道祖神を車からでも確認できるもので、一つの貴重な史跡でもある。近くには車を停めておける場所はないので自転車か歩きがベスト。
信号待ちしている最中に、神社らしきものを発見。なぜそこにあるのかもわからない。お参りしている人もいない。
| 名前 |
摩利支天尊堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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山梨県には 刑場が2つあり、そのうちの一つ 山崎の刑場 が此処から少し西にあり、何かしらの関係がこの神社とあったのではと調べてみたが、特に関係は無いようである。____________❷【参考 中央線鉄道旅行案内 明治36年】摩利支尊天(まりしてん のルビあり)(明治36年の書による)西山梨郡_里垣村_字山崎にあり。甲府停車場より30丁余り。毎月亥の日縁日にて 雑踏せり、とある。_____________❶【参考 摩利支天堂 西山梨郡郷土研究 昭和12年】摩利支天堂(昭和12年の書による)・永正13年(1516年)8月 疫病が流行る 下記の[疫病の話]参照・永正14年(1516年)3月15日 堂宇建設し奉祀する。3月15日 8月15日をもって縁日とする。・弘治3年(1557年)8月4日 非常に激しい風により堂宇打倒されるも再建立する。・貞享2年(1685年) 摩利支天の絵の奉納 下記の[摩利支天の絵の話]参照・明治18年 本堂修築 拝殿新築した。[疫病の話が残る]永正13年(1516年)8月 中村内、疫病が流行り、一軒一軒 大声の絶叫の声絶えず。とある。又同10月13日 火災あり。風が火の勢いを助け20あまりの戸を延焼する。翌14日より3日にわたり大雨がふり、災害にあったものは野に屋根も無く露天にさらされて何をすればいいのかわからない。ただ、死を待つしか他にない惨状だった。とある。時に 之丞(力丞・りきじょう) なる人あり、とある。道徳堅固にして善行の誉たかりしが日に村内を巡視して病む者は医薬をすすめ、倒産のものには回復の道を講ず。又災害が連続して起こったことをなげき摩利支天を勧請して息災を祈り、斎戒沐浴して21日間の絶食の勤行(ごんぎょう)する。すでにして疫病が止み災害また起こらず。もろびと始めて蘇生せり、とある。[摩利支天の絵の話]・貞享2年(1685年) 雨宮直長なる人、信心に厚く又村内の人々を誠実で人情に厚くさせた。江戸下谷廣大寺に安置せる 摩利支天の真像を写し描いて、本堂の影前に掲げた。又後に信仰参拝する者ますます多きに至る。