延命寺で感じる逗子の歴史。
延命寺の特徴
逗子駅から徒歩圏内で、静かに佇む大きな仏教寺院です。
行基菩薩が開基した、由緒正しい真言宗の名刹です。
三浦道香の墓が残る歴史的なスポットとしても有名です。
行基が延命地蔵菩薩を安置し、開創。後に空海がその菩薩像を祀る厨子をつくり、市井の信仰の礎となったという古刹。この厨子が逗子の地名の由来とのこと。ただ現今はコンクリート製の堂宇が聳え、歴史は感じられないのが如何ともし難いのも事実。
聖武天皇の天平年中(724-749年)に行基菩薩が開創されたと言われている高野山真言宗のお寺です。弘法大師様がこのお寺に立寄り 延命地蔵菩薩安置する厨子を設けられ以来、この地を「厨子」と呼び現在の「逗子」の地名発祥となったそうです。逗子葉山駅が目の前ですが境内に入ると落ち着いた風情を感じることができました♪
逗子駅から程近くにある真言宗のお寺。開山の行基上人が彫った延命地蔵がお寺の由来です。また、その地蔵を収納する厨子を弘法大師空海が設けたことから地名の厨子になったそうです。平安後期からこの地で勢力を誇った三浦氏の祈願寺で、三浦氏は戦国時代にこのお寺で北条氏に攻められ滅びています。
逗子の街に佇む大きなお寺様です。参拝がお昼時になってしまいましたが、大変丁寧な対応をいただき御朱印をいただくことができました。
◆平安時代に〈弘法大師空海〉が延命寺を訪れ、延命地蔵菩薩を収納する「厨子(ずし)」を設けたことがきっかけで、「逗子」という地名が生まれとされる。※延命寺も、延命地蔵尊も、厨子の形態も多くあるなか、逗子という名が生まれたのは奇跡的。
三浦地蔵尊二十四番札所。東逗子駅に戻り、逗子駅へ。徒歩で、途中「逗子・葉山駅」を通り過ぎ京急の踏切を渡ると左側すぐです。お地蔵様は、本堂内おりました。拝観出来るように、御本尊様より手前に移していただいたようで、お寺によって対応に違いがありますね。御朱印を頂く為、寺務所に行きますと「本堂へどうぞ」と促していただいたので、玄関から本堂内に上がりお詣りさせて頂きました。
2023/5逗子駅の近くにあるお寺さん。平日利用。敷地が広いですが墓地が広いです。幼稚園があります。御朱印をいただきましたが、ちょうど御開帳の時期で自分が来たのが偶然だと知ると驚かれました。寺務所は本堂とつながっており、とても立派です。お坊さんもとても親切な方でした。御朱印を入れていただいた封筒がすごく立派に感じました。
奈良時代、行基菩薩が開基し御自作の延命地蔵菩薩像を安置し本尊とされたのが由来。弘法大師が立ち寄り地蔵尊を安置する厨子を設けられて以来、周辺一帯を厨子と呼び逗子の地名起源になった。今回は湘南七福神巡りで参拝しました。境内の厨子弁財天様で御真言を唱えながら参拝しますと力強さを感じました。😲寺務所で本堂への参拝許可を頂きまして本堂内へ本尊様と両脇の仏様、通路の大黒天様は力強さを感じました。😲御住職さんから延命寺さんのアイドル「いろはちゃん」を紹介されました。😍いろはちゃん目当ての参拝者も多いとか…😏親切な対応で気持ち良く参拝出来ました。🙏☺️🔸御朱印あり。
行基大僧正により開かれ、後に弘法大師の霊場に成り現在は真言宗の名刹。平安時代に至り三浦郡の大介(おおすけ:知事)を桓武平氏三浦家が務める様に成ると以後、平安末~鎌倉~室町時代の三浦家滅亡まで相模国の大名三浦家の祈願所の寺院として崇敬され繁栄した。境内には三浦家最後の大名三浦道寸公の実弟の三浦道香公の墓所も有り誰でも参拝出来る。三浦道香公は鎌倉市光明寺裏山~逗子市小坪に跨がる住吉城の城主だった。御寺の近くには鎌倉時代の武将、三浦義胤の墓所も在る。
| 名前 |
延命寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
046-873-9322 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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本堂扁額は高野山金剛峯寺四百五世座主『高峰秀海』猊下の揮毫で間違い無いと思いますが、余りにも高さがありしっかり読み取れず『逗子大師』として親しまれている高野山真言宗の延命寺『逗子』の地名由来になったお寺三浦半島の地名由来である三浦氏、三浦道寸の弟である三浦道香と家臣六人が後北条氏に攻められ当寺で自害その三浦道香主従七武士の供養の為の寶篋印塔がある寺の縁起は何処まで信憑性があるのか疑問があるが、明治二十九年に鐘楼を除いてすべての堂宇が火災で焼失した事により文書類も失われているようで惜しい三浦氏を滅ぼした後北条氏の帰依を受け、その後徳川家より朱印状を下付、大いに栄えたようだ現在の伽藍規模を見るに、歴史と相まって準別格の格式でも良いのではないかと思わせる威容である。