源頼朝を支えた 武将の聖地、土肥。
土肥實平公並婦人像の特徴
湯河原駅ロータリーに立つ土肥實平公夫妻の像です。
源頼朝を支えた土肥実平の偉業を称える彫刻です。
土肥郷を治めた武将の貴重な歴史が感じられます。
土肥郷(湯河原から真鶴)を治めていた武将で、源頼朝公を支え、鎌倉幕府開府立役者の1人。 (再)
駅ロータリー中央にあります。あまり認知されていないような。湯河原の豪族武将の夫婦像。
湯河原駅ロータリーに立つ土肥實平公夫妻の像この辺りの領主として源頼朝旗揚げの際重要な役割を果たし源平合戦でも活躍するもその後嫡孫維平が和田合戦で反北条方として処刑されたので安芸の小早川氏の方へ勢力は引き継がれたとか。夫人も石橋山の戦い後隠れていた頼朝主従に食べ物を届けたり貢献したとか。
土肥次郎実平像が駅前にありました。
土肥実平は、土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を本拠としていた武将です。源頼朝公の挙兵には、弟の土屋宗遠をはじめとする中村一族を率いて参陣しました。また、石橋山の戦いで大敗した源頼朝公をなんとか逃して、さらには真鶴から安房へ渡らせる手引きをしました。その後も、平家討伐や奥州征伐に参陣するなど大きな功績を残していたスゴイ方です。銅像にもありますが、この土肥の地を源頼朝公を共に出陣したのが70歳過ぎ、また、出陣した11年後に安芸国沼田荘(広島県三原市)で亡くなりました。分骨された供養塔が近くの「城願寺」に大事に残されています。地元の方のお話しでは、背中を湯河原駅に向けているのは、北条の里からやってきた源頼朝公や北条時政や義時を夫婦で迎えるため、伊豆の国に向かって立つ姿だからだそうです。
土肥實平夫妻の像が立ってます。
源頼朝を支え、鎌倉幕府の立役者となった土肥實平公を顕彰する像です。この界隈が、館跡とのことでした。
湯河原駅の駅前に土肥実平公とその妻の像が建っていました。このあたりから城願寺まで土肥氏の館があったとのことです。
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名前 |
土肥實平公並婦人像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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湯河原町の土肥会に参加した時に撮影しました。