岩屋観音で信仰と絶景を。
岩屋観音堂の特徴
現在も信仰される活気ある岩窟系のお堂です。
美濃路第一の風景、木曽川が美しく流れています。
龍王の誕生地である神聖な場所が訪問者を魅了します。
以前伺った八大白龍大神の関係がある所との情報を知り、散歩ついでに時間があったので行ってみました。駐車場は木曽川側の国道21号先沿いにあります。砂利で、転回出来る程度には広いですが、車は1台もありませんでした。側に標識があり、駐車場から山の斜面沿いに続く中山道を歩いて行きます。山の落石の防護ネットと柵に挟まれた、あまり他所では無いような雰囲気の坂道で眼下に交通量のある道と、岩がゴツゴツと荒々しい木曽川が見れます。電車の線路も直ぐ横を通っている。しばらく登ると電柱に漢字とカタカナ混じりのかすれた文で、落石注意と書いてある。誰も居らず、やや不気味な感じ。更に進むと、砂防ダムと21号線の歩道から登って来れる道の合流があり、その先に手水舎(蛇口から水が出る)と岩壁に沿って建てられたお堂が見えてくる。お堂横の細い所を抜け、奥に行くと、薄暗い岩窟の中に石像が祀られていた。誰かが来ていたのか、暗い中、線香の燃え先が赤く煌々と輝き、香りが漂っていました。看板には霊泉がある様な事が書いてありましたが、水は出てない様でした。何とも言えない宗教味溢れる雰囲気でした。ここからは、岩屋観音に関係ないけれど、ここでの出来事の記録。岩屋観音に向かって落石危険地帯を単独で心細く歩いていると、いきなり頭上の山の斜面のから、バサバサッ!と音がして、物凄くビビった。ビビりながら音を見た瞬間は、巨大なメジロ(鳥)!?と思いましたが、心臓バクバクながらよく見ると、アオバトが山の斜面に張られた金網に挟まれて暴れていた。図鑑や絵で見た事はありましたが、初めて本物を見た感動。しかし、2重に張られた金網の間、地上3m弱の高さ辺りで挟まれている状況。ほぼ垂直の斜面の防護網の上端開口部は、たぶん20〜30m上。そこまで行かないとアオバトは出られない?…絶望的状況。どうしよう!!と、おろおろ。周りに人は居なく、こういう時どうしたら?と悩み、色々ググってみましたが最適解は無く、アオバトはバッチリ金網にサンドされている。悩みつつ、挟まれた網の間を広げ、アオバトが抜け出せる様にするために、表面側の金網を力一杯引っ張りましたが、さすが落石防護用の金網は頑丈で、ほんの少ししかたわみません。たまに網の隙間からアオバトが首を出してて、出れると勘違いしてるのか?猛烈に羽ばたきだす。あぁ!翼が傷む!と焦って、網を引っ張って空間をかせぎ、干渉低減の繰り返し。地獄。アオバトが挟まっている側に、網の継ぎ目があり、固定金具外せば出せるんじゃ?…でもガッツリ固定されている。この設備の管理者に聞いてみるかと周りに書いてないか探すと、金網に白い看板発見!急いで近寄り見ると、…『ロックネット(たぶん防護金網の名前)』…しか書いてない。今一番要らねぇ情報!少しでも上に出られる様に、網に通したワイヤーを足場に金網を引っ張るを何度か繰り返すと、アオバトはインコの様に少し登っていき、斜面の凹凸により出来た網の間に空間がある所に辿り着き、そこから網の間に生えた茂みに突っ込んで行きました。バタバタ?パタパタ?と羽音が聞こえ見失いました。見失った以上どうする事も出来ないので、あの高さの網からアオバトが少しずつ登って無事脱出するのを祈るのみ。ハッキリしない結末に、ややモヤモヤした気持ちも残りますが。どうすれば一番良かったのか?珍しいものが見れましたが、この思いがけない出来事で、岩屋観音はモヤモヤした思い出になりました。 (2024.1.31)
眺めが良い馬頭観音と役行者像あり。
現在も信仰されている現役の宗教施設であることがうかがい知れる。古代の金採掘跡との伝承があるらしいが、チャートの岩盤に何かが貫入してるっぽい。
中山道を歩いて来て、木曽川に気を取られてみれば、坂を登ると案内板が。登ってみたら、立派な建物があるではないですか。旅の安全を願って、歩き続けるのであった。
誰か居たけど誰か判らず😥
龍王が産まれた場所らしい。
岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中山道の旅人たちにも厚く信仰され、中山道の難所であったこの付近の通行の安全を旅人が祈ったとされる。観音堂の造りは、桧皮茸の入母屋造り、正面の屋根には千鳥破風をのせ、さらに唐破風の向拝を付けている。建築年代は、19世紀始めと推定されている。毎年7月の中旬にはお祭りが執り行われている。ーーー[由来]ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「無極慧轍(えてつ)」禅師は、応永14 (1407)年 相州 最乗寺の修行を終え、故郷 肥前に帰る途中 猿啄城(さるばみじょう)主 西村善政の母である伯母を尋ねて この地に立ち寄った。善政は、無極禅師の道徳に深く帰依し 関市下有地に 龍泰寺の建立を懇願した。禅師は、これを受け入れ 龍泰寺の第一祖師となった。翌年、伯母の病の回復を願いこの岩窟に行基の作といわれる十一面観音を祀り祈った。それが岩屋観音の開基である。また岩屋観音を奥の院として木曽川の対岸に大泉寺を創建した。栗栖の大泉寺が本院。岩屋観音が奥の院。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お水をいただきました。
山の状態を確認後、帰り道に寄ってみました。
名前 |
岩屋観音堂 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
https://www.town.sakahogi.gifu.jp/sightseeing/cultural-property10/ |
評価 |
4.1 |
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沢山の車が行き交う中山道をほんの少し山側に上がったところにある岩窟系のお堂。サイキックな雰囲気があります。今も地元の信仰を集めているようです。木曽川の眺めも素晴らしいです。