将門公ゆかりの史跡、時を超える旅。
島広山・石井営所跡(坂東市岩井)の特徴
住宅街の中に忽然と現れる歴史的な史跡です。
平将門がゆかりのある石井の営所跡で魅力を体感。
小綺麗に整備された場所から地元の熱意が伝わります。
ここは将門公の館があったと伝わる場所です。
国王神社の後にここを訪れました。手前に駐車場があったので車を止めてそこから50mぐらいです。真正面には人が住んでいない?古民家、両隣は新築の住宅に囲まれているので史跡という雰囲気はあまり感じませんでした。
本当に考古学的に正しい位置にあるのか謎だが、小綺麗に整備されているのを見ると、地元行政の平将門史跡に関する熱量を感じられる。
少し離れた所に車3台分位の駐車場があります。
由緒書きが、割とどこも見辛い場所にある…
将門の本拠地がこの付近にあることはほぼ間違いないが、推定地域内の微高地ということで、後世ここに定めたのだろう。場所を定めるのであれば、本来なら、考古学調査によって古代官衙の政庁に準ずる施設の発見を待たなければならない。そのためには、市町村の何年にもおよぶ地道な周辺地域の試掘調査が必要である。難しいとは思うが、現状では、この地に立っても「将門記」の風景を想像することは難しい。
住宅街を歩いていると突如現れる史跡。
これだけ将門さん由縁の史跡が固まっていると、思わずタイムトリップしてしまいますねぇ。脇道に入るので、車の運転がへたなわたしには、少し苦手な場所。
平小次郎将門が最期を遂げた『北山』は、当時は『島広山』と呼ばれていたようですが、現在では共に地名が失われており、この島広山はあくまで推定地のひとつの様です。このあたり(湿地帯)でいう山は、標高が10メートルもあれば山とされたそうです。北山の推定地としては、石井(いわい)の営所と国王神社の間にあるこの地と、『駒跿(こまはね)』があります。歴史小説『平将門』の作者である海音寺潮五郎は、北山は「石井の営所の北方にある山」と解すべきが自然であると駒跿と考えたいと述べています。因みに駒跿とは、一陣の烈風で将門の駒(馬)が跳ねたことから、その様に呼ばれるようになったとのことです。
名前 |
島広山・石井営所跡(坂東市岩井) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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狭い路地に忽然と現れますが、五十年前に訪れた時は、ここも観光地状態だった記憶があります。今は静かに当時の営所の様子を思い浮かべるのに適した静けさです。