四日市 日永追分で美味しい名水汲み!
日永の追分の特徴
東海道と伊勢街道の分岐点がある歴史的な場所です。
まろやかで美味しい湧き水を汲めるポイントです。
京や伊勢への旅路の重要な交差点として機能しています。
僕は小さい頃から絵が好きで、神秘的な体験を経て自分が信じる世界を絵に描いてきた。誰も信じてくれないので目に見えるようにしたくて絵に描いたのが始まりだった。そんな僕は2023年4月に北勢印刷に就職して、念願だった地元で自分がやってきたことに関係がある経験を生かせる仕事に就職できたつもりだった。その会社は北勢印刷と言います。でもこの会社は四日市の人や企業を応援する雑誌を作ってきましたが2024年9月30日で雑誌の仕事が終わりました。そして僕の仕事がなくなり。僕は今までやったことも無い営業の仕事に回されました。映画監督や写真家。画家の経験をしてきた僕は営業なんてした事も無ければ、営業なんてできない。会社を辞めろと言われているのかと思うけど頑張った。しかし色々言い合いになって、そして会社を辞めるかもしれない。せっかく 江戸時代の先祖の話を雑誌に書いて喜んでいたのに。せっかっく作った本はこの場所の事を載せています。
水汲みの場所として人の行き来がありますが、なったって東海道と伊勢街道の分岐点になるところ。現在は、名四国道23号線から名阪国道25号線と伊勢街道23号線の大里町交差点あたりが実質の「追分」分岐点かも。
京に向かう東海道と伊勢に向かう参宮街道の分岐点。桑名の渡にある一の鳥居に対する二の鳥居が建てられている。四日市を描いた浮世絵に、この鳥居を中心に間宿として多くの旅籠があった。鳥居は、1774年に伊勢一志郡須賀瀬村出身の渡辺六兵衛が東海道を往来する多くの旅人が、伊勢神宮を遥拝するための鳥居が無いのを遺憾として、立てたのが最初。建設費と敷地料の百両を受け取った日永村が余剰金で田を鳥居地として購入し、その利潤を鳥居建て替えの費用に充てて建て継がれてきたと言う。現在の鳥居は2016年に伊雑宮の鳥居の下付を受け、建て替えられたもの。湧水なのか、美味しいお水が沸いていましたので、私もちょっとだけいただきました。
追分があるのは知ってたけどここで飲料できる水が汲めるなんて知りませんでしたまろやかで美味しい水だと思います。
東海道と伊勢街道の分かれ道です。伊勢参拝の二の鳥居があります。この辺りは四日市宿と石薬師宿の間に設置された間宿としてたいそう賑わったそうですよ。
皆さんのクチコミを見て来訪しました。パッと見ではわかりませんが、一段下がった場所に勢いよく水が出ています。地元の方が大切に保存維持されていることに感謝しながら水を汲ませてもらいました。
小さくても歴史を感じられる場所。昔の人はここを通っていたんだなぁと思うと感慨深い。今みたいに車もない時代、お伊勢参りに行きたいけど行けない人たちがここからお伊勢さんに向かって擬似参拝してたのかな。間の宿としても賑わっていたんだと思いながら目を瞑ると旅人たちの声が聞こえて来そう。追分自体には駐車場はないので近隣の駐車場に停める必要あり。私は自転車で訪問しました(湧き水が美味しかった)。
東海道と伊勢街道を分ける、追分。伊勢神宮への道でもあります。ここから約90kmですけど。水を汲みにくる人も多くいますが、交通量が多いので、要注意です。ここの近くにある「追分駅」は、もちろんここから名前が取られています。
水量が多いので、あっとゆう間に汲めます。夜10時まで汲めるという事で、平日の夜でも次々と汲みに来ています。駐車場がないので、路駐で2台くらいです。
名前 |
日永の追分 |
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ジャンル |
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住所 |
〒510-0882 三重県四日市市追分3丁目1−3013−1 |
HP |
http://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1001000002678/index.html |
評価 |
4.0 |
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近鉄の富田駅から東海道を歩いてようやくたどり着いた伊勢道との追分でした。水を汲んている人が沢山居ました。自分も飲んてみましたが、びっくりするほど美味しい水と言うほどではありませんでした。