霞城公園の歴史を感じる、ひつじさる櫓。
二の丸坤櫓跡の特徴
坤櫓は山形城の南東角に位置し、歴史を感じさせる場所です。
ひつじさる櫓台が良く整備されており見応えがあります。
霞城公園の歴史公園化に伴い隅櫓の石垣が復元されました。
山形城跡の坤櫓跡は、二ノ丸の南西隅に築かれていた櫓の跡です。「坤(ひつじさる)」は南西を意味する方角名で、その名のとおり城の南西側を守る重要な防御拠点でした。山形城では方角名を櫓に用いる例があり、坤櫓は西側と南側の監視を担う実戦的な櫓だったと考えられています。山形城は 斯波兼頼 が1357年に築いたのが始まりで、戦国期には 最上義光 によって東北最大級の城郭へと拡張されました。1622年に最上氏が改易されると、鳥居忠政が城の整備を進め、坤櫓も近世城郭としての山形城を支える櫓の一つとなりました。近年の発掘調査では、櫓台の石垣が 最大12段・高さ約4.8メートル という破格の規模で確認されました。山形城の土塁内部でこれほどの石垣が残る例は珍しく、坤櫓が二ノ丸の中でも特に重要な防御拠点だったことを示しています。石垣には櫓へ上るための 雁木(がんぎ) と呼ばれる石段も残り、建物が失われた今でも当時の構造を具体的に想像できる貴重な遺構です。周辺には、敵を側面から攻撃するための 横矢(よこや) の跡も残っています。土塁を屈曲させて死角をなくすこの工夫は、山形城が天守を持たない代わりに「実戦的な縄張り」で防御力を高めていたことを物語っています。静かな史跡ですが、石垣や雁木、横矢遺構を眺めていると、約400年前にこの場所で城を守っていた武士たちの姿が自然と浮かび上がります。派手さはありませんが、山形城の築城技術と防御の知恵を体感できる、歴史好きには見逃せないスポットです。
ひつじさる櫓。
霞城公園内 桜の園脇、南西角にあります。発掘調査で発見され、近年、上端から3段目くらいまで復元されたようです。
坤櫓とは、山形城 二ノ丸の南東の角で、方角を示す坤(ひつじさる)に建てられていたので、この名称で呼ばれていたそうです。保科城絵図(1644~47年)には二の丸に全て塀が建てられていたとあり、土塀だったとすれば、壮大な姿であっただろうと想像しました。史料によれば、江戸後期には木製の透瓶に替えられたとあります。It is said to have been called by its name because it was built on the southern corner of Yamagata Castle Ninomaru, which is a gon indicating a direction.The picture of Hoshina Castle (1644-47) states that all walls were built in Ninomaru, and I imagined that if it were a clay wall, it would have been a magnificent figure. According to historical sources, in the late Edo period it was replaced by a wooden vial.
櫓台が残り、良く整備されています。
二重櫓が山形城でも復元されると見所が増えるのですが・・・・
霞城公園を歴史公園として整備する事業の一環として、隅櫓の石垣が復元されました。山形城址は国の指定史跡ですので、建物については、当時の図面などが発見されないと適当に建てるというわけにはいきません。当面建物の復元は諦めて、石垣の様子から往時を偲ぶスポットですね。
| 名前 |
二の丸坤櫓跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
023-641-1212 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/kakuka/machizukuri/koen/sogo/yamagatajo/ |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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読みは「ひつじさるやぐら」「ひつじさる」とは南西を意味する方角のこととのこと。