神秘的な森に佇む八尋殿。
神服織機殿神社の特徴
幻想的な佇まいが魅力の神服織機殿神社です。
鬱蒼とした森に囲まれた神秘的な雰囲気が漂っています。
伊勢神宮内宮の所管社、歴史ある魅力を楽しめます。
広々とした田畑の中にこんもり深い森林があり幻想的に佇んでいる。南側の鳥居のみ境内に立ち入ることが出来る。5月14日と10月14日に伊勢神宮内宮と荒祭宮にて天照大御神に和妙と呼ばれる絹をお供えする神御衣祭の為に、2週間かけて当神社境内の八尋殿で絹が奉織される。井口中町にある神麻続機殿神社との両機殿を中心にして、櫛田川流域の紡績業が盛んになり後の松阪木綿へと繋がり、やがて伊勢商人の発展に繋がっていく。
伊勢神宮内宮の所管社。御祭神は神御衣祭に供進される和妙(にぎたえ)を奉織する御機殿の鎮守の神、神服織機殿鎮守神(かんはとりはたどのちんじゅのかみ)を祀る。神宮神職が参向し、地元の者が古い伝統のままに奉織を奉仕しているという。下機殿(しもはたどの)とも呼ばれているらしい。鳥居を越えるとすぐに境内最大の大楠がある。
神服織機殿(かんはとりはたどの)神社皇大神宮(内宮)所管社30社のうち第9位。伊勢神宮125社の一つ。御祭神は神服織機殿鎮守御前神(かんはとりはたどののまもりのみまえのかみ)神様の和妙(にぎたえ)をこの神社で織り上げます。その布は内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる神御衣祭(かんみそさい)で使われます。神御衣祭は豊受大神宮(外宮)では行われません。何故内宮から遠く離れたこの地に所管社があるのか不思議でしたが、斎宮との関係が重要であると分かってきました。皇女である斎王は内宮に納める布を自ら機織りしていたとの説があります。明和町にはこの神社以外にも機織りに関する神社が多数存在しています。イオン明和店や国道23号線から麦畑越しにこの神社の森が見えます。南に位置する神麻続機殿神社を「上機殿」と言い、この神服織機殿神社を「下機殿」と言われてます。何故「上」と「下」の表現をするか不思議でしたが斎宮の立地と隣接する祓川を使った移動を考えると海に近いこの神服織機殿神社が「下流の下」、神麻続機殿神社を「上流の上」と川を利用した目線なら理解出来ます。麻布(荒妙)を織る上機殿に対して下機殿は絹布(和妙)の奉織を行います。私も勘違いしましたが鳥居正面に位置する萱葺屋根の八尋殿はいわば作業小屋で神様が御鎮座する社殿ではありません。伊勢神宮摂社末社序列社の中でも非常に珍しく神明造りの建物ではありません。両妻に棟持ち柱が立ってません。その代わりに妻側に扉が有ります。扉があるから棟持ち柱を設けられないのでしょうが。また、屋根に鰹木が8本もあるが珍しいです。皇大神宮(内宮)の本宮が10本。荒祭宮や月読宮、倭姫宮も6本なのに8本とは意外です。所管社ですが敷地内に社務所があります。機織りの作業を実際に行うのでこの社務所に電気や水道も通っており社務所裏にはトイレも有りました。勝手な事を言わせて貰うと、入口や境内の電柱や電線が無ければ良いなと思いました。
社は、藪椿に囲まれて、いま赤い花椿が見頃です。青木の実も綺麗。
ネットで写真をみてビビッときて訪れたくなりました。田んぼ道のなかに、突如、緑のこんもりが現れ、すぐにそこだと分かりました。空気がピーン、としてて。おごそかというかなんというか、結界?というくらい、おおっ、となるような何かを身体で感じました。とても神秘的で、奥の茅葺屋根の建物にたくさんの光があつまり、神々しく輝いているさまを目にして、ゾクッとドキッとするくらいでした。誰もおらず一人だったので特に、神社内に流れているものに敏感になっていたのかもしれません。訪れて良かったと思える場所でした。
田んぼの中の森 (今は麦畑でした)、この中に神社があるって知ってましたが初めてお参りしました。大きな森の中には大きな木があり静かでした。新しい茅葺き屋根に日があたってとても美しかったです。
誰も人はいませんでした。とても静かでした。
八尋殿が瓦葺屋根・板垣が修繕され建て替えではないですが美しい外観となりました。左隣の本殿は変わっていません。
天照大御神にお供えする「和妙」と呼ばれる絹の反物つまり、神御衣を作る八尋殿とその神社がココ!今、八尋殿は新しく建て替えられてる途中…神宮では毎年春と秋、神御衣祭(5月と10月の14日)で、皇大神宮と荒祭宮にこの神御衣が奉られます…
名前 |
神服織機殿神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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「神様の御用人 3巻一柱」に登場する天棚機姫神の孫『天八千々姫命』が祀られている神社皇大神宮の衣「神御衣(かんみそ)」の絹「和妙(にぎたえ)」を奉織する機殿「八尋殿(やひろどの)」の守護神をお祀りされてます。毎年四月と九月の末日、神宮から神職が参向し、神織機殿神社の斎館で潔斎し、身を清めます。翌一日の早朝、奉織にたずさわる人々が集まります。午前八時から機殿をお守り下さる神々に「清く美わしく奉織できますように」と祈念する『神御衣奉織始祭』が行わなけれます。四人の女子『奉織工』が絹糸で織り上げます。神御衣の織り立てが全て終了すると、十三日午前八時から『神御衣奉織鎮謝祭』が行われ滞りなく奉織ができたことを感謝するお祭りです。伝承では・・・服部神部の祖神「天御桙命(あめのみほこのみこと)」と、奉織工の祖先「天八千々姫(あめのやちひめ)」をお祀りするといわれます。域内には八つの小さな末社があります。機殿の起源は・・・『倭姫命世記』によると、垂仁天皇の御代、天照大御神が飯野高宮に留まられた時に服織社があったと伝え、また五十鈴川の川上に御鎮座の時、宇治の機殿を建て「天棚機姫神(あめのたなはたひめ)」の孫の八千々姫命に、天上の儀式にならって大御神の和妙を織らしめたとあり、それを天武天皇の御代に、紡織業の盛んな現在のこの地に移したようです。(2023/10/1)