亀山宿で味わう、旧東海道の魅力。
東海道亀山宿の碑の特徴
亀山城沿いに保存された、昔ながらの街並みが魅力です。
江戸から数えて46番目の宿場町の歴史を感じられます。
道路角にある形の良い石碑が、訪れる人の目を引きます。
お城沿いに2023年11月下旬、亀山宿探訪の際に寄りました。亀山駅から亀山城多聞櫓に行く途中、旧東海道が交差する場所に石碑や説明板があります。旧東海道をほんの少し西に進むと西町の問屋場がありました。
いわゆる宿場町然とした建物はありませんが、旧東海道の道は当時の面影を色濃く残しているように思えます。
旧東海道を歩いていて、この辺りは、シャープやカメヤマローソクの工場はあるものの、見所は何も無い。また、私同様旧東海道を歩かれる方は、駅前含み、飲食店やコンビニが全く無いので、食べ物、飲み物は事前に準備を。
旧東海道の町並みを残している亀山宿。亀山城の城下町でもある宿場町です🍵今は静かな所ですが実際歩くと坂道を上ったり下ったりでかなかイイ運動になります🤘亀山の先に関、坂ノ下と宿場町が続きます。あと旧道を歩くとなぜか色んなタイプの猫が自分の前を通過します。
かつて、亀山城沿いに整備された東海道沿いの様子が記載されています。屈まないと読めないので、ぜひ説明版として設置してほしいものです(笑)
道路の角の小さな広場に形の良い石碑があります。
亀山宿の中も見ごたえ有りますよ☺️亀山宿~関宿の間だの名阪国道の高架下に浮きを絵も有りますよ‼️
関宿や馬籠宿のような趣はありませんが、昔ながら街並みを残そうとしているのは解ります。江戸時代の面影を探しながら歩くのも面白いと思います。
亀山宿のお雛様は、今日が最終日‼️協同組合に車を止め各店のお雛様を見て回りましたが、土曜日にも、関わらず人通りが少なく寂しいです。館家に行ったら5人ぐらいの人でした。一方通行の為5分で終了。コロナ対策は万全ですが、味気ない⁉️来年はゆっくり楽しみたいと思います。
| 名前 |
東海道亀山宿の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
2025年1月3日に伊勢参りの後で、青春18切符の使い道を迷って、亀山駅で下車した。亀山駅にあったキヨスクの売店は既になく、自動販売機があるだけである。関西本線の蒸気機関車入れ替えや、加太の坂を上るための補機のために、広大な敷地があったこの駅もガラッとしている。特急も通らないし快速みえも、全て伊勢鉄道を通るのである。季節柄店が開いている訳でもなく、コンビニもないし、食事を取るところもない。ブラブラと歩いていて見つけたのが、東海道亀山の宿場跡である。関宿とも言われる。東海道と言っても亀山の宿場は江戸時代から寂れている。伊勢参りは関西からだと本街道(国道368・369号線)を通る。数年前に車で通ったが、普通のセダンでなくて良かったと思うほどの道である。トラックとの離合に苦労した。道の駅がやけに大きな国道だった。道の駅がスーパー代わりであったと思う。江戸からは海上交通で渡っていて、亀山は通らないのだ。当時から寂れていたので、現在寂れているのは致し方ない。駅にあったチラシを撮影して貼り付けることにする。写真を撮る楽しみは先延ばしだ。2025年1月来た時に大量に写真を撮ったのだが、貼ったけれどもすべからく消されてしまっている。訪れる人が少ないと見る。当然検索が少ないので消されるわけである。観光的な面白さはない。城下町であったので、幕藩体制が終わると寂れるのは当然だった。歴史だけはあるので色んなものは残っている。しかし美しさはなくて、かつてこうであったという歴史にロマンを感じなければひたすら寂しいだけであった。風は強くて冷たくて、駅に戻っても2両編成のジーゼルカーが待っているだけであった。東海道に亀山宿がいつごろ作られたのかは、正史には残っていない。江戸幕府が慶長6年(1601年)に五街道のひとつとして整備をした。宿場制度も整えられた。それ以前に、文明14年(1482年)の文書には「亀山」と残っていると、愛知歴史観光に書かれているが、出典はない。発掘の結果15世紀の終わりには町が成立していたことが分かる。16世紀の中頃、亀山城築城以後は、関氏の城下町として発展した。東町と西町からなり、9つの町に分かれていた。合わせた町の規模は大きいが伊勢参りの経路から外れたので、本陣と脇本陣が各一軒しかない。参勤交代には使われたが、庶民が使わないのだ。幕府が定めた宿場であるので、曲りくねった道路などに面影は残っている。東追分から西追分までの1.8キロの町並みであった。江戸中期になると精巧な地図が残されている。石碑の横の壁に図が書かれているが、古いので朽ちている。画像には、チラシのものを乗せている。