古代の謎が眠る酒船石。
酒船石の特徴
酒船石は謎に包まれた巨石遺跡で、歴史のロマンを感じる場所です。
約5.5mを誇る大きさの酒船石にはユニークな模様が刻まれています。
整備された竹林山道を登ると、不思議な雰囲気の石が現れます。
未だに用途は不明なようですが、祭礼が行われたらしい巨石遺構です。近くで亀の形をした遺構も見つかっており、仏教とは別の文化の息吹を感じます。
何に使われたものなのか諸説ある酒船石です。非常に想像を掻き立てられる造形をしていて、何となくですが、儀式で使ったような感じがします。奈良は、石の遺構が多いのですが、印象深いものがありました。
迫力ある遺跡に触れることができます。斉明天皇というミステリアスな女帝が作らせたらしいです。しかし何故山頂にあるのか不思議です。ペルシャのゾロアスター教との関連が指摘されてますが、私にはわかりません。
レンタサイクルで訪れました。万葉文化館の入り口の横の小高い丘の上にあります。ゆっくり登っても道路から2、3分もあればたどり着きます。3年くらい前に来た時は、やや薄暗い鬱蒼とした竹やぶの中を登った先にありましたが、久々に行ったら酒船石までの道がとても綺麗に整備されていました。竹やぶも間引きされてて、以前よりだいぶ明るい印象に。(綺麗になって歩きやすくなりましたが、個人的には鬱蒼とした竹やぶの中に突然現れるのがワクワクする感じで好きでした。)身長156㎝の自分の胸くらいの高さまである大きな石で、古代ロマンを感じます。
斉明女帝が、豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったとされています。 酒船石は小高い丘の上にあり、長さ約5.5m、最広幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで、上面に丸いくぼみとそれにつながる溝が刻まれています。 酒船石のある丘を降りた辺りにあるのが亀形石造物です。酒船石は、無料ですが、亀形石造物は有料です。
50年ほど前に読んだ手塚治虫さんの「三つ目がとおる」と云う漫画でこの場所を知っていたのですが、急に思い出したので行きたくなり行ってきました。『携帯Q~あ~る案内 あたかちゃん』のQRコードが書かれた案内板がありますのでQRコードを読み取って動画音声を聞きながら楽しむと良いと思います。私は平日に行きましたのでこの場を独り占め出来たのが良かったです。この遺跡の下には亀形石造物も有りますが、そちらを近くで見るなら300円が必要です。料金所の人が親切で発見当時のお話や日本書紀のお話も聞かせてくださるのでお金を払う価値はあると思います。
酒船石を見に行きました。前月、見落としてしまった巨石の遺跡。有料区間の料金所の手前右側に、酒船石への道があります。整備された黄土で造られた道を上っていった先に、石垣跡、もう少し上ったところに酒船石がありました。長さ約5.3m~5.5m、幅約2.3m、厚さ約1mです。酒船石(さかふねいし)は、奈良県明日香村にある平らな石造物で、その表面に複数のくぼみと溝が彫られています。国の史跡に指定されており、日本遺産の構成文化財でもあります。斉明天皇は宮の東の山に石を積み重ねて垣を作ったと記されています。酒船石のある丘陵で発掘された石垣が、この記述に該当するとされています。『日本書紀』には、香具山(かぐやま)の西から石上山(いそのかみやま)に至る運河を掘り、200隻の舟で石上山の石を運んだとあります。実際に、遺跡から出土した砂岩は天理市石上周辺で産出するものでした。この石の用途については、酒を搾る道具、油を絞る道具、砂金を精選する道具、水銀朱を製造する道具、ゾロアスター教の儀式に使われた薬の調合道具 など、さまざまな説があります。最も有力な説の一つは、庭園の施設の一部、特に導水施設であるというものです。詳細では酒船石古墳(酒船石遺跡)の周辺地域は、『日本書紀』の斉明天皇2年(656年)の条に記された「宮の東の山に石を累(かさ)ねて垣とす」という大規模な土木工事の記述に該当すると見なされています。斉明天皇は土木事業を好み、巨石を用いた水路や石垣、特に謎の亀形石造物などの祭祀施設を作らせた記録が残っています。日本書紀の記述と酒船石遺跡に関する主なポイントは以下の通りです。日本書紀の記述と遺跡の関連656年、宮の東の山に石を積み上げ、石垣を作ったとされる記述が、現在の酒船石遺跡の北側斜面で発見された石垣・石敷の遺構と合致すると考えられています。この工事は、斉明天皇が建造した「両槻宮(ふたつきのみや)」に関連する施設の一部と推定されています。大規模な土木工事日本書紀には、この一連の工事に多くの人夫が動員されたことが記されており、水路工事に約3万人、石垣構築に約7万人が従事したとされています。酒船石の用途遺跡からは、亀形石造物と小判形石造物という湧水を用いた水槽が発見され、これらは祭祀的な施設であった可能性が高いとされています。酒船石自体は、この地域で行われていた水や油を使った特殊な儀式、あるいは庭園施設の一部と見られています。酒船石遺跡は、その後の平安時代まで約250年間にわたって使われ続けた歴史ある遺構であることが発掘調査で判明しています。『日本書紀』の斉明天皇二年(656年)の条の記載原文。「夏四月、乙卯朔、丙寅。以石累垣於宮東山」。訳: 夏の4月、12日に、宮(後飛鳥岡本宮)の東の山に石を積んで垣とした。
何のために作られたかハッキリとは解明されていない…というところも飛鳥地区を周る楽しみ、でしょうか。下から上るために階段は整備されています。階段のない登り坂で上まで歩くこともできます。
飛鳥宮跡近くの遺跡です。酒船石遺跡は以前から存在は知られていたんですが、下の亀形石造物が平成12年に発掘されまとめて酒船石遺跡としたようです。亀形石造物のほうの料金所のおじさんが詳しく教えてくださったことで、この酒船石だけを皆さん観られても実は途中にある屋根付きの小屋のなかの石垣が史跡的には凄いこと。その石垣がこの遺跡のある丘全体に張り巡らされ、その石自体この近辺には無い砂岩で組まれていること。などなど詳しく教えてくださいました。さて、この酒船石ですが読売TVの人気番組『若一調査隊』で知り観に来ました。若一さんが詳しく教えてくださったおかげでとても興味深く見学でき、飛鳥時代の遺跡ロマンの幅が広がっていることが凄く楽しく思いました。番組ではこの酒船石のある丘全体が人工的に作られたものであることを教えてもらっていたので、登りながら人工物なのか確かめながら楽しく上がりました。地域的にリアルでは見れないですが、YouTubeでこれからも中身の濃い調査隊を観てまた来たいと思いました。
| 名前 |
酒船石 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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世界遺産に登録された酒船石遺跡で、孟宗竹が生える小高い丘の上にある大きな石にナスカの地上絵みたいな模様が彫られています。一番上の大きな窪みに水を流して花びらや落ち葉 笹舟を流して占いに使われたと推測します。