映画の聖地、二条城撮影所跡。
二条城撮影所跡の特徴
京都で最初の撮影所があった歴史的な場所です。
日本映画の聖地として、多くの人が訪れます。
中京中学校のグリーンベルト内に位置し散歩に最適です。
JR二条条駅から徒歩5分ほど。二条城の西南櫓のそば、中京中学校の校庭に沿った敷地外にあります。元京都市長、桝本頼兼の筆で「二条城撮影所跡」と題字が書かれています。明治43年(1910年)、日活の前身である横田商会が、この二条城の脇約300坪の場所に二条城撮影所をここに開設。数多くの時代劇映画が撮影されたそうです。(しかし、活動期間はわずか2年ほどで御前通一条付近に新しい撮影所を建設したそうですが・・)なお、フィルムとカメラのデザインがされた(何となく)スクリーン風に感じる石碑には以下の通り。”歴史と文化の都・京都は,日本映画発祥の地であり,映画の都である。世界文化遺産「二条城」の膝元であるこの地に,明治43年(1910)に横田永之助の横田商会により、京都初の撮影所である「二条城撮影所」が開設された。この撮影所の規模はおよそ300坪の土地に2間×4間の低い板敷の舞台をしつらえ、それを開閉自由の天幕で覆うという簡単なもので,背景はすべて書き割りであったと言うが、大正から昭和初期の日本映画隆盛の一時代を築いた京都の映画産業の礎となった。ここで、日本映画の父と言われる牧野省三が尾上松之助とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影し、実力をつけた牧野はその後,京都を舞台に数々の名作を手がけるなど日本映画発展の基盤が作られた。”平成9年11月 京都映画100年を記念して京都市・京都市教育委員会。
日本映画の聖地です。
映画に携わる者は、決して外す事が赦されないのが、ここ二条城撮影所跡と、マキノ省三さんとその息子、マキノ雅博u0026光雄の兄弟です。「マキノの名跡を知らずして、日本映画を語るべからず!」とは、今は亡きマキノ雅彦(津川雅彦)さんの言葉ですが、その津川さんを出番待ちから呼ぶ際に「マキノさぁ~ん❗」と呼んでたのもあって、津川/マキノ雅彦さんには太秦の映画屋の黎明期の話を熱く語って頂いたり、マキノ雅博監督に会わせて頂いたり、太秦の映画屋のよもやま話を聴かせて頂きましたね✨
中京中学校のグリーンベルトの中にあります。日本映画を語る上で外せない場所であることがわかる場所です。
散歩に良いです。
日本の映画は此処の地から始まりた。二条城西南櫓の下300坪の土地に,明治43(1910)年横田永之助(1872~1943)の横田商会により京都初の撮影所が開設された。この地で日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影した。法華堂撮影所(上京区御前通一条下る)ができるまで2年間使われた。この石標は二条城撮影所の跡を示すものである。
日本の映画は此処の地から始まりた。 二条城西南櫓の下300坪の土地に,明治43(1910)年横田永之助(1872~1943)の横田商会により京都初の撮影所が開設された。この地で日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影した。法華堂撮影所(上京区御前通一条下る)ができるまで2年間使われた。この石標は二条城撮影所の跡を示すものである。
| 名前 |
二条城撮影所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na049.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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京都で最初に撮影所ができた所だそうです。牧野省三などもここからスタートしたようです。