八幡山城跡で歴史散歩を。
八幡山城跡の特徴
戦国期の山城跡として歴史が感じられる場所です。
竪堀や堀切などの遺構が残り散策を楽しめます。
八幡宮の鳥居までの道中、自然を満喫できる環境です。
八幡山城跡(はちまんやまじょうあと)は、岐阜県飛騨市神岡町朝浦にある戦国期の山城跡だ。飛騨地方では名高い江馬氏(えまし)の勢力圏内にあったこの城は、単なる軍事施設というだけではなく、地域の信仰や伝説とも深い結びつきがある興味深い史跡なんだ。この城の起源をたどると、古く平安末期、源義平(みなもとのよしひら)という武将が関わったという伝承がある。彼は「悪源太(あくげんた)」と呼ばれ、平治の乱(1159年)の敗戦後、追っ手を逃れてこの地までたどり着いた。そして義平はここに宇佐八幡宮の神霊を勧請して八幡社を建てたんだそうだ。そのため、八幡山は昔から八幡信仰が厚い場所として知られている。実際に城を築いたのは、戦国期の延徳年間(1490年代初頭)のこと。当時この地を治めていた江馬氏配下の河尻権之正(かわじり ごんのしょう)という武将が八幡山に居館を構え、城郭を整備したとされている。しかし、この地には城を建てようとした時、不思議な伝説が残っている。城の工事が始まると、白髪の謎めいた老人が現れて、「ここは八幡宮の神域である」と警告した。これを受けて河尻権之正は義平の故事を尊重し、改めて八幡宮を再興したという逸話だ。ところが、河尻氏の時代は長くは続かなかった。河尻玄蕃(かわじり げんば)の代になると、江馬氏本家の13代当主・江馬時正(えま ときまさ)との対立が激化。享禄元年(1528年)の年末、玄蕃の兵士たちが年越しの祝い酒に酔いしれて警戒を怠った隙をつき、江馬時正が兵を率いて攻撃。八幡山城はあっけなく落ち、玄蕃は討ち取られ、城と八幡宮の社殿は焼き払われてしまった。この戦い以後、八幡山城は廃城となった。城郭としての八幡山城は、主郭と二の郭を中心とした小規模な山城だったようだ。現在も朝浦八幡宮の境内には、当時の土塁や堀切、石垣跡がわずかながら残っており、その姿から戦国の面影を偲ぶことができる。その後、江戸時代に入り飛騨地方は金森氏が治めたが、八幡山城は再建されることなく、八幡宮だけが地域の信仰を集める拠点として存続した。明治以降は地元の史跡として保護され、今でも地元住民たちに大切にされている。この城跡を訪れると、歴史に埋もれながらも地域の人々が脈々と受け継いできた物語を感じることができるだろう。派手な遺構があるわけではないが、じっくり歴史を味わうには最適な場所の一つだと思う。
竪堀や堀切などの遺構が残っていました。
散歩がてらに登ると裏に堀切がちゃんと残っていた。秋は紅葉で素敵な神社さん(*´∀`)♪
| 名前 |
八幡山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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熊でも出たら怖いので八幡宮の鳥居までとした。