名前 |
諏訪神社(小坂) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
資料によると、大和国阿仁和庄の住人阿仁和兵助橘基保は、観音のお告げによりその地を離れ当地の小坂に仲山城を構え上州金山新田氏に仕えたという。基保は仲山城大手門筋に信州一宮諏訪大明神を勧請した。基保の子兵衛直家は元弘元年(1331)府中六所宮の娘をめとるも父基保が建武2年(1335)に歿し、直家が城主になったが、那賀郡秋山城(現本庄市)の腰元に懸想したため秋山氏と不仲となり遂に延文2年(1357)2月21日討ち死にした。これより先奥方は弥陀の御告げにて難を逃れ、縁ある能登の時国家へと落ちて行った。その後直家十三回忌に当たる応安2年(1369)10月比久尼となった奥方と諸衆35人がこの地を訪れ「野上下郷石塔婆」となる供養塔を建立したと「信仰利生鏡」に伝う。とあります。この神社が登山口で、東の小山に仲山城跡があります。また、国道140号線からこの神社方向への道へ曲がって直ぐのところに「野上下郷石塔婆」が建っています。