浜3丁目に歴史の息吹を。
飯野藩浜屋敷跡の特徴
石碑と説明板が整備されており、歴史を学べます。
遺構は見当たりませんが、懐かしい位置づけがあります。
子供時代の思い出が詰まったスポットです。
浜3丁目にある旧跡です。交通は、神刀根線国道479号線(内環状線)浜交差点西南端から西進して名神南の細道を西進130mで北上30m西進10mで到着します。西からは国道176号線国道479号線(内環状線)を東進400mで稲津高架橋東端地上降下地点に出るので左にターンして西進100mで左折南下50m西進10mで到着します。このルートの歩道は天竺川越え部分に階段があるので十分ご注意下さいね。設備は南に石碑、北に看板があるだけです。看板の説明書きは短か過ぎてわかりにくいですが、ウィキペディアの飯野藩の項目を読むとよくわかります。それによると、飯野藩は慶安元年(1648)年に旗本の保科正貞が、大坂城代補佐役の大阪定番(じょうばん)に任ぜられ、領地が増えて1万7000石の大名になってので立藩したのが始まりだそうです。それ以来、明治の廃藩置県まで10代に渡って続き、藩主はたびたび大坂定番に任ぜられたそうです。領地が本国の上総(今の千葉県)より関西に多いので、そこを治めるため、慶安年間(1648-1652年)にできたそうです。あるサイトによると、東西約60m南北約110mの大きな敷地だったそうです。昭和38年(1963年)に名神高速道路が開通し、昭和44年に府道内環状線(1993年(平成5年)に国道479号線に昇格)がそれぞれ開通して、石碑看板のある場所は両道路の間になり、それ以南の旧敷地は住宅街になり、昔の面影は全くありません。以前のゴミは撤去され、植栽も手入れされているようです。国道479号線はもとより、天竺川堤防道や石碑設置地の東を南北に走る道は南の豊南町と北の北条町や服部緑地方面を結ぶ間道として地元民に重宝されているので、夜でも車が頻繁に通りますので、来られる時は十分ご注意くださいね。また、自動販売機は東方130mの喫茶エイト付近か、間道を南下130mの浜3丁目8-2グリーンハウス浜西側が1番近いようなので、飲み物のご用意はあったほうがいいかもしれませんね。
今では産廃ゴミの捨場。
きちんと石碑と説明板はあるものの遺構は皆無。屋敷跡らしさも全く無い。だが、石碑と説明板があるだけでも良いじゃないか、それだけでよいじゃないか、と私は思う。
この立て看板が高速道路の高架下にあるのみで…当時の名残は何もありません。
良くわからない。
初めて行きました。機会があればまた行きたいです。
子供の頃遊んでた場所です。古銭を拾った場所です。その頃は浜屋敷跡とは知られていなかったのですが、歴史的な場所だったんですね(・∀・)
名前 |
飯野藩浜屋敷跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.2 |
周辺のオススメ

なぜこんな小藩の…しかも殿様がいた上屋敷でもない浜屋敷みたいなところの跡がこうして案内板まで立てられる事態になるのかさっぱりわかりませんまぁ…歴史好きとしては嬉しいのは嬉しいですが💦