平安の風感じる横見神社。
横見神社の特徴
平安時代中期の延喜式に名が残る伝統的な神社です。
『延喜式神名帳』に記された横見神社の論社です。
八丁湖や吉見運動公園からの散歩に最適な場所です。
延喜式内の古社で昔の横見郡の三社の一社です。
八丁湖で掲示されている遊歩道の案内にも乗っている神社由緒は古い神社だが宮司さんは常駐してないので御朱印等の配布はない普段は駐車場なども利用不可なので八丁湖か吉見運動公園から散歩がてら歩いてくるのがよさそう。
平安時代中期の延喜式に名があるという伝統的な神社です。狛犬はいませんでした。駐車場は2台ほど停められます。
境内に駐車場があるみたいですがロープが張ってあり停められませんでした。前の道に駐車して参拝しました。
『延喜式神名帳』にある「横見神社(武蔵国・横見郡)」に比定される式内小社の論社。横見郡三社の一つ。他の二つは、高負比古神社・伊波比神社。慶長年間(1596年-1615年)、大洪水で流失したとされる。本殿は古墳上にあることから、個人的には本当にここが式内社の「横見神社」なのか疑わしい。かといって、洪水で流出し流れ着いた同町久保田の「横見神社」も由緒からすればあり得ない。洪水で流出後に、近場の古墳上へ遷座したのかもしれない。あるいは、もう一つの論社である、熊谷市吉見の吉見神社が式内社の横見神社なのかもしれない。拝殿や本殿覆屋には見るべきものはなく、「吉見の松」と呼ばれた御神木も台風で倒れてしまって、いまはその根本しか残っていない。
横見神社古墳。
この神社名の由来であるはずはないだろうけれど、古墳上の神社はみなそうだが、横から見ると古墳の上に神社が乗っている様子がよく分かる。
境内に駐車場があるみたいですがロープが張ってあり停められませんでした。前の道に駐車して参拝しました。
[延喜式内社]武蔵國 横見郡 横見神社。
| 名前 |
横見神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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横見郡の式内社3座は、直線距離で1.5km以内の近距離に鎮座しています。横見郡は横渟屯倉(よこぬのみやけ)の推定地。式内社(小)、旧社格は郷社。社伝によれば、創建は和銅年間(708-715)である。横見郡式内社3座の中で最も早い列格は田甲の「高負彦根神社」で、宝亀三年(772)の太政官符にみえる。したがって、当社はその後に列した官社である。旧郡の式内三社は狭い地域に集中しており、当地一帯が朝廷から重視されていたのが分かる。式内社は、一部に有力氏族の氏神的な社もあるが、大半はその神験が高いことで列格している。それは国家の有力社として国家大事の際に神験の発揚が期待されたからである。その神験をはかるのは民衆の信仰で、当社も、朝廷に認められるほど霊験あらたかで祈願に訪れる人も多かったに違いない。また、官社列格は名誉ではあるが経済的制約が多く、民衆の信仰に支えられたところは大きい。中世に至ると、吉見氏が衰退し、以後は有力支配者が姿を消してしまい、当地は名主などの有力農民層の管理に移る。その混乱期の中で当社は飯玉氷川明神社と社号を改称している。飯玉は、江南町の飯玉神社の由緒に説かれるように、飯は炊いた米、玉は魂・霊の意で穀霊信仰を表している。とあります。御祭神は、建速須佐之男命、櫛稲田比賣命。