真田昌幸・幸村の聖地へ。
善名称院(真田庵)の特徴
真田昌幸・信繁親子が蟄居した歴史的な場所です。
近くには歴史資料や真田に関連する展示物があります。
駐車場が近くにあり、アクセスも便利な立地です。
普通に車が停まっていたので入って良いか戸惑いました。真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺。御朱印などは無人で料金はお賽銭箱に入れるスタイル。事前に小銭を用意しておいた方がいいと思います。
一瞬、蕎麦屋さんかな?と思いましたが、れっきとしてお寺です。戦国武将への手紙が書けます。風情ある建屋と庭でちょっとした観光気分で訪れることも可能なので、武将好きには面白いと思います。九度山の観光資源の主なる場所です。
愛媛新居浜から訪れました。稀代の戦略家、真田昌幸の墓を目の前にして感動しました。そういや、再起を期しながら九度山で雌伏してるうちに亡くなったんですよね。どれだけ無念であったことか?真田庵は、一応昌幸さんや信繁さんが住んでいた家があった所と言われているらしい。西之門に使われている雁(かりがね)が六文銭以前の真田の家紋であったことや、菊の紋章の由来(詳細亡失)についても説明がありました。
長野県上田市真田町から来ました。九度山と上田の景色がとても似ていることに驚きました。添付した最後の写真は真田町の真田家菩提寺である長谷寺(ちょうこくじ)の真田昌幸のお墓です。2022.5
歴史ファン、特に真田ファンには必見の聖地とも言える場所。真田昌幸、信繁の親子が関ヶ原で西軍に味方し、兄の信之は東軍に味方し、どちらが勝っても家名を残すように戦略を立て、結果、東軍の勝利に終わり、真田昌幸、信繁親子は、ここ紀州、九度山に幽閉されました。それから「大阪の陣」まで十数年、ここ九度山で暮らし、父、昌幸はここ九度山で生涯を終えました。真田庵は、特に立派な伽藍や塔頭かまあるわけではないですが、趣はあり、季節ごとに違った表情があります。クルマで行く場合は、道路沿いの町営駐車場に停めて、歩いて向かうことになります。近くには真田ミュージアムがあり、また「幸村庵」という蕎麦屋があります。
戦国の世の最終盤にひときわ輝いた武将でもある真田昌幸、幸村(信繁)親子が、関ヶ原の戦いの敗北のあと大坂の陣に参戦するまで謹慎していた場所です。現在はお寺になっています。こじんまりとした場所で珍しいものがあるなどはありません。徳川家康を打ち破った武田信玄の部下であり、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠を翻弄した名将、真田昌幸はこの地で無くなります。そして、次男の幸村はその後大坂の陣で大活躍します。この地で真田親子は何をしていたのか、徳川にとって最も厄介な敵となるべく雌伏していた場所として、ロマンがあふれる場所です。
高野山の帰り、時間があったので真田庵へ寄りました。九度山駅から徒歩10分ほどの距離です。行き先看板もあり、迷うこともなかったです。さらに、そこから10分程度歩くと道の駅『柿の里くどやま』があります。11月半ばに行ったのですが、柿がたくさん販売してました。とても美味しかったので、時間に余裕のある方はこちらも一緒に寄ることをオススメします。
近くに15台ほど停められそうな駐車場があります。そこから徒歩数分です。もともと真田幸村一家が住んでいた場所がお寺となっています。小さなお寺ですぐに見終わってしまいますが、敷地内には、屋敷に落ちた雷を封じた井戸が、歩いて数分の場所には、真田の抜け穴と伝わる場所があり、興味深いです。敷地内に、お土産の煎餅や御朱印を置いている無人販売所があり、代金はお寺の賽銭箱に入れてくださいと注意書がありました。
御朱印は無きものと覚悟して参拝しましたが書き置きで頂けますご住職の貼り紙がどこかユーモラス😃
名前 |
善名称院(真田庵) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0736-54-2218 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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観光地化されてないので案内板も小さく御朱印とかも置きのみお金はお賽銭箱にというパターンでした。途中でカフェとか休み場所ないのでご注意ください。