旅人を守る塞神の碑。
塞神碑・塞神の松跡碑の特徴
有馬街道沿いにあり、道祖神の塞神碑が存在する場所です。
祇園の一本松を惜しむ塞神の松跡碑が整備されています。
ベンチも設置されている静かな場所で、訪れる人々を癒します。
神戸有馬街道北進平野交差点過ぎて100メートル東側にある碑、碑だけでなく、ベンチなどあり整備されている。
有馬街道を北に進むと祇園神社と言う神社がありますが、その手前にあります。読み方は『さえのかみ』で、村への悪霊邪鬼の侵入を防ぐため村境などの境界に祀られる神様だそうです。立派な案内版も建てられています。
なにもない。
■ 塞神(さいのかみ)の碑旅人の安全を守ってくれる道祖神■ 塞神の松跡の碑戦時中迄あった「祇園の一本松」という名木を惜しんで、上祇園町内会に建てられた碑。
| 名前 |
塞神碑・塞神の松跡碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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案内板にはこのように書かれていました。 「塞神」の碑昔、このあたり(奥平野村)を東西に通る古代からの人道「古道街道」がありました。この碑は、古道街道を通る旅人らの道中の安全を守ってくれる神さま(道祖神)として言い伝えられています。天保の時代(一八二〇年から一八四四年)、このあたりに「塞神」をまつった祠があり、ここに生えていた榎が倒れたので掘り起こしたところ、大きな石が現れ、その下から甲冑、剣、馬具などが出てきました。しかし、当時の人はたたりがあっては大変と埋めてしまい、山伏をよんで祈祷させたとの言い伝えがあります。「塞神の松跡」の碑昔、上祇園町のこのあたりに「塞神ノ松」とか「祇園の一本松」とよばれていた大きな松がありました。和田の沖をゆく船が、この松を見て舵を直したと言われるほど有名な松でした。この松は戦時中に枯れて今はありませんが、その跡に昭和十六年十二月、上祇園町内会がこの「塞神の松跡」の碑を建てました。参考「平野古事探訪」より祇園遺跡治承四年(一一八〇年)、平清盛によって福原遷都が強行され、わずか半年ではありましたが、福原荘・和田荘と呼ばれたこの地に都がおかれていました。平清盛の邸宅はここ平野にあり、平野殿と呼ばれていたことが記録の上で確認できます。大輪田泊や福原荘・和田荘を見晴らす、ここ平野の地が福原京の中心地域でした。一九四四年、国道四二八号線拡幅整備工事にともない発掘調査左で、この公園のすぐ西側から、庭に石を敷き、池がある貴族の邸宅が見つかりました。出土した木かんの輸入陶磁器や大量の土器などから、貴族の生活がうかがわれます。ただし、この調査ではそのごく一部が見つかったにすぎず、池の大部分や御殿などは今もこの地下に眠っています。写真キャプション:土師器小皿と須恵質甕祇園遺跡の庭園跡資料:神戸市教育委員会提供。