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名前 |
羽縄観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
陸前高田市竹駒町字滝の里に御堂を構える、羽縄観音堂、気仙地方海沿い、陸前高田市も甚大な被害で街並は原型が変わる程、変わり果ててます、数々の三十三観音霊場を巡りましたが、東日本大震災で被害を受けた海沿いにみちのく巡礼三十三ヶ所霊場、三陸三十三観音霊場等在り自身の地元の海沿いは震災の影響で観音巡り、巡礼も完全停止と言う情報を知り地元の寺院、街の現在の状況、情報を伝え多くの人々に足を運んで貰いたいのと、自分自身慰霊の為に巡ってます、2023.12に岩手三十三観音霊場、気仙三十三観音霊場にて参拝致しました、どの様な御堂か引用を用いて調べて見ました、気仙三十三観音霊場、第九番札所、札所ご本尊は聖観世音菩薩、羽縄観音、この地の旧家「松野家」は、かって行駒の地主として当地を治めていた時期があり、屋号を「刑縄」と呼ばれ、昔、気仙川の鮭漁をしている家でした。伝説として、この家の先祖が大絵にさらわれ、南方の孤島に置き去りにされたとき、「鮭の大助なり」と名乗る白髪の老人が現れ、共に鮭の姿となって竹駒の里に帰ることができたといいますが、松野家は、そのお礼として、毎年十月二十日は気仙川の鮭漁を止め、上流に鮭を遡上させたと伝えられています。近年まで観音堂は松野家の邸内に置かれていました。祀られていた観音仏は三体でしたが、一体が盗難に遭い所在不明です。現在は、同家の東寄りに一回四面のお堂を建て祀られています。気仙川河口の鮭漁は古くから重要な生業となっています。いろいろな形で係争が絶えませんでしたが、上流地である駒での羽縄漁に対する地も厳しいものだった様なので、伝説も観音信仰も大いに必然性があったのでしょう。鮭漁の道具が、屋号となったり観音堂の名前になったりしながら今に伝わること自体、何か深くいメッセージが感じられます、歴史的建造物、仏閣、仏像、神社巡り、パワースポット、癒し処、東日本大震災復興巡礼巡り、巡り、気仙三十三観音霊場巡り、三十三観音霊場諸願成就、祈願、絶景、景色撮影、参拝、散策、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。