観音像が守る大照寺の歴史!
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お堂の中には、大内氏時代から伝わる十一面観音さまがいらっしゃいます。ご開帳は20年に一度で、地元の方でもなかなかお目にかかれないらしい。
名前 |
花立山観音 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
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▼ 1569(永禄12)年の大内輝弘の乱の際に大照寺の伽藍は焼失したんだけれど、このとき本尊の観音像はビョーン!って空を飛んで田に移り、難を逃れたんだとか。焼けてしまったあと、大照寺の寺格は萩へ移されたが、ある日、飛ヶ谷に落ちている観音像を村人が見つけて(グッジョブ!)、お告げに従って現在地に祀ったとの伝承がある。▼ 観音像が移ったと伝えられる田は現在も「不動田仏の町」の名で残り、女人禁制となっているんだってよ。▼ 幕末、花立観音堂は淫祠解除(いんしときのけ)政策による破却対象となっている。つまり、1864(弘化3)年に作成された、スクラップせずに残すべきお寺をリストアップした「御国中新規寺社堂庵詮議付立帳」からは外れているんだ(『山口県史 通史編 幕末維新7』pp.429-438)。だけど今も残ってるよね。本来であれば破却されるところを、「法明院抱」(法明院の別荘みたいな位置付け)という理由をつけて残されんだと想像できるよ。「お願いだから、壊さないで!」という地域住民の歎願活動があったんだろうね。(『宮野八百年史』(1981)pp.407-409/境内の案内看板(1989)/「御国中新規寺社堂庵詮議付立帳」(毛利家文庫12社寺69、山口県文書館蔵)/『山口県の祭り・行事』(2008)p.86/「宮野村名所考」(近藤清石61、山口県文書館蔵)/「山口名勝旧蹟図誌 巻二」(近藤清石62、山口県文書館蔵)などを参考に記す)