今治城の誇り、藤堂高虎公像。
藤堂高虎公像の特徴
今治城三の丸広場に位置する藤堂高虎公像は、迫力満点の銅像です。
鉄御門を過ぎると目の前に現れ、堂々とした威厳があります。
藤堂高虎公は築城の名人として名を馳せており、その存在感が光ります。
藤堂高虎公像。(202108)【みちみち】※三重県亀山市出身の中村晋也作設置場所\t愛媛県今治市 吹揚公園。築城の名手、藤堂高虎の騎馬像。海水を引き入れた堀を持つ今治城に建立された。🅿️今治城第一駐車場へ。🚻トイレは今治城第一駐車場公衆トイレへ。※客観的に普通の物が『最高』の評価にはなりませんので悪しからず。
今治城三の丸広場に築城主である藤堂高虎の像があります。藤堂高虎公は、加藤清正公、黒田孝高(くろだよしたか=黒田官兵衛)公と並び築城三名人のひとりです。関ヶ原の合戦では東軍に参画。その軍功により宇和島城8万石に加え、今治12万石が加わり、合計20万石の大名となりました。宇和島城は従弟の藤堂良勝(とうどうよしかつ)を城代にして、自らは居城として今治城を築城しました。
今治城にも行きました。江戸時代初期に築城の名手藤堂高虎が築いた日本屈指の海城と言われています。瀬戸内海に面した海岸にあり、かつては三重の堀に囲まれた広大な平城でした。四角形のシンプルな形をしており、戦い重視の険しい城から脱却した先進的な構造になっていました。城内には海につながる船入が設けられましたが、その船入は現在の今治港に継承され、海事都市である今治のルーツの一つになっています。現在でも城の中心部の石垣と広大な内堀がほぼ完全な形で残っています。堀は海水が出入りする珍しい構造になっていて、海の魚の泳ぐ姿を見ることができます。昭和55年以降に天守や櫓、鉄御門などの再建が進み、雄大な城郭の姿がよみがえりました。天守や櫓の内部は博物館や美術館になっています。天守最上階は360度パノラマの展望台で、瀬戸内海・しまなみ海道の絶景が広がっています。
ちょっと遠出して今治城見学。お城へ向かうと正門を通って直ぐに藤堂高虎公の銅像と鉢合わせします。堂々と馬に乗った姿は築城の名手と言える姿を象徴させるようである。天守閣は有料であるが場内は公園になっており地元民の憩いの場になっていそうである。
高虎公は何処をみているのでしょう?関ヶ原の戦功で八万石の城主から二〇万石の大名となって国府城に入城したが、何を思ったのか?今治の地に赴き腰を据えている。
2022/7/24来訪。高い台座の上に馬にまたがった藤堂高虎公像があります。碑文も刻まれているので興味のある方は一読ください。黒田孝高(くろだよしたか=黒田官兵衛)、加藤清正と並び「築城三名人」のひとり、藤堂高虎。藤堂高虎は関ヶ原の合戦では東軍に与し、その軍功で宇和島城8万石の安堵に加え、今治12万石が加増され、合計20万石の大名となります。宇和島城は従弟(いとこ)の藤堂良勝(とうどうよしかつ=高虎の母・とらの妹婿、大坂夏の陣で戦死)を城代にして、自らは居城として今治城を築城しています。ニッポン旅マガジンより。
初代城主の藤堂高虎公の像です。今治城と一緒に撮影するのが人気です。
お城と絡めたいいアングルで写真が撮れます。築城の名手・藤堂高虎公の馬上銅像。
今治城を創建し、今治の方に愛されている 藤堂高虎。羽柴秀長・徳川家康に仕えて、江戸時代になっても幕府の重要な地位にあったそうです。 浪曲『藤堂高虎、出世の白餅』が有名です。
名前 |
藤堂高虎公像 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0898-31-9233 |
住所 |
|
HP |
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/64/view/8044 |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

城普請といえばこの人黒田官兵衛・加藤清正・藤堂高虎 この3人はすごい四国は名城がおおいなぁ。