勝利の神様、御器所八幡宮へ!
御器所八幡宮(八所大明神)の特徴
織田信長ゆかりの神社、歴史深き八幡宮です。
住宅街にひっそりと佇む、木々が生茂る静かな境内です。
白龍信仰に興味がある方にとって、良いエネルギーに満ちた神社です。
手水舎が亀と珍しい 入口近くに胸像があった神社関係の人?重軽石が二種ある駐車場あり。
御器所の住宅街にあるきれいで立派な神社。住宅街を歩くとうっそうとした森があり少しずつ進むと大きな鳥居がある。鳥居をくぐり手水舎で清めるが大抵は龍がメインだけどここは亀。珍しかった。小さな石橋を渡り朱塀を通ると赤い鳥居と赤い灯籠がありそれだけでも絵になる。まさに神秘的。拝殿がきれいでなんとなく神秘的。境内社もいろいろあり白龍社やまた総社宮や佐久間社など聞かない名前のもあった。縁結びの石や白龍社の石、吉幸水と石など石にまつわるものもある。五社宮と神楽殿の間に稚児宮という小さな境内社があるがすき間に造るのもなんかすごかった。ここの個人的な見所は必勝鉾鈴がかっこいい。少年漫画みたい。その昔、小牧長久手の戦いで徳川家康が必勝祈願として訪れたとのこと。
赤丸神事の日に参拝させていただきました。初めて茅の輪くぐりというのを体験しました。神社仏閣巡りが趣味なので茅の輪くぐりは何度も耳にしていましたが、通年設置されているわけではない為なかなかタイミングが合わず今回初めての体験となりました。ネットで調べたところただくぐれば良いわけではなく、やっぱり作法があるんですね。茅の輪の前で一礼。ご神歌を唱えながら左右左と3回くぐります。『茅の輪くぐり作法』で検索すればすぐ出てきます。皆様も機会があれば是非体験してみてください。
御器所荘の総鎮守2023年7月下旬に参拝しました。明治の時に施行された廃仏毀釈まではお隣りの医王山神宮寺の境内地にある宮社だったそうです。境内は木陰や境内社が多い印象でした。→御器所エリアの総鎮守ゆえに、かつて当該エリアに点在していた祠をこちらで祀っています。また尾張地方の神社でよく見られる蕃塀がありますが、こちらのは朱色に彩られており他ではお目にかかれないと思います。
先日、大河ドラマ「どうする家康」がテレビで始まりましたが、この神社は、この大河ドラマに出てくる、織田信長に関係する神社です。信長の家臣団佐久間家が領内の総鎮守の大神として八所大明神を奉斎したのが起りとも言われ、勝利の神様、厄除け開運、合格祈願、縁結びとして知られています。信長が大きく飛躍するきっかけとなった「桶狭間の戦い」で、清須城から桶狭間に向かう時に通ったと言われる街道に面している神社です。木瓜道(もっこうどう)と言って「美濃街道」をペースとしています。題して、信長の大願豪運ルート。お参りをしたあと、外の生け垣にきれいな赤い花が咲いていたので、その時は分かりませんでしたが、後から調べたら、ボケの花でした。ボケの花は、平安時代から日本人に親しまれている花のようで、白い花もあるそうです。実でジャムジや果実酒もできるそうです。ボケの花言葉は、色々あるようですが、その中に「先駆者」というのがあって、信長が、このボケの花を家紋にした事に由来するというのも興味深いです。
今年は正月明けて随分経ってからしか初詣に行けなかったので、いつもはお参り出来るまで30分ぐらいは並ばないといけないけど、さすがに並んでませんでした。勝負の神様で知られているので受験される方はお参りして神様を味方につけてみては。
元旦~1/15迄、御朱印は対応しない。ホームページにも現地においてもその旨の案内が無いので地元以外の人間が参拝する際は要注意。
☆織田家重臣の佐久間一族の居城「御器所西城」の総鎮守の社⛩️徳川家康も小牧長久手の合戦前に参拝し戦勝祈願、合戦に勝利した祈願成就で社殿修造、歴史深き八幡宮‼️☆創建年代不詳とは興味深い、熱田神宮の鬼門守護として鎮座したとの伝承も、熱田神宮と因縁深き「御器所」の杜の八幡宮、今は住宅街に囲まれた街中でも一歩神域に入ると雰囲気一変🤔
■白龍様が印象的白龍信仰の私は、龍にまつわる神社は興味深い対象。こちらは、白龍様を祀った神社があり伺いました。厳かで清廉な空気の神社で、また伺いたいです。参拝ありがとうございました。
| 名前 |
御器所八幡宮(八所大明神) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
052-881-9512 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
〒466-0051 愛知県名古屋市昭和区御器所4丁目4−4−24 |
周辺のオススメ
御器所八幡宮(ごきそはちまんぐう)。名古屋市昭和区御器所。式内社(小)尾張国 愛智郡・高牟神社及び、同郡・物部神社の論社、旧郷社。主祭神:品陀和気命 五男三女神 天兒屋根命 彌豆波能女命 菊理媛命(配祀)八劔大神 山王大神 木花咲耶媛命 高倉大神 天照大御神資料によると、室町期の棟札が残っており、中世には八所大明神と呼ばれていたらしい。熱田神宮の鬼門を鎮護するため仁明天皇勅願社として鎮座されたとの言い伝えがある。創建年代は不詳だが、明治の神仏分離まで神宮寺であった医王山神宮寺が850年(嘉祥3年)創建と伝わっており、当社も9世紀以前に創建された可能性がある。かつては北西の八幡山古墳頭頂部に当社の奥宮があり、様々な神事が行われていたという。当社を高牟神社に比定する説がある。津田正生の『尾張国神名帳集説訂考』では御器所村の八幡の社(当社)を物部神社に比定している。御器所周辺には古墳や廃寺が複数あることや『倭名類聚抄』の郷の記載順を根拠に愛知郡物部郷を御器所周辺に比定する説が有力視されている。津田正生はまた同村の天神の森をその候補地に挙げている。この場合天神の森は現在の昭和区天神町紅梅町の辺りにあった天神森天神山にあたり、その地に天満宮が鎮座していたが、天満宮は現在御器所八幡宮の境内摂社となっている。とあります。