維新の志士の道、野村望東尼の地。
野村望東尼終焉の地の特徴
高杉晋作を支援した野村望東尼が住んでいた歴史的な場所です。
慶応3年に亡くなった野村望東尼の終焉の地として有名です。
萩往還トレイルマップ No58に掲載されている史跡です。
維新の志士たちを支援し、高杉晋作の最期を看取った野村望東尼がこの世を去る時まで住んでいた家があった場所です。今は門しかありませんが、前の道路には萩往還の表示もあり、なかなか歴史を感じさせる場所です。
萩往還トレイルマップ No58
野村望東尼は、慶応3年(1867年)62歳で亡くなりました。その時まで住んでいた家がここにありましたが、その家(望東尼終焉の家)は大楽寺の下に移築されています。
野村 望東尼(のむら もとに、ぼうとうに)の、浦野もと子幼名モト。
萩往還に沿って歩くと、左手にあります。三田尻御茶屋(英雲荘)から数百メートル、つまり三田尻御舟倉跡からも近いところにありました。建物の門だけが残されていました。建物は、別の場所に移されていました。
名前 |
野村望東尼終焉の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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高杉晋作の最期をみとり晋作の辞世の句の下の句をつけた野村望東尼の終焉の地が防府にあったとは…これもあてのないぶらっちんぐの為せる技ですなーこれやから町歩きはやめられません!しかし野村望東尼が永い眠りについた家の門だけ残って母屋は移築されたってどうゆうことやろ?どうせなら門もいっしょに移築すれば良かったのにーとまぁ…これはあくまで小職の個人的意見ですが。