鹿児島の入来院氏の山城へ。
清色城跡の特徴
入来院氏が築城したシラス台地にある山城です。
散策中は急勾配の堀切を見ながら楽しめます。
鹿児島の外城制度を支えた歴史的な城跡です。
麓の観光案内所横の駐車場に停めて、小学校沿いの通路を通って登城。登城口は何ヵ所かあるみたいですが、堀切近くから行った方が無難。切通みたいな堀切は圧巻。松尾城はほぼ直登でぬかるんでいたので断念。本丸・中之丸まで行きましたが、求聞持城以降は行けず。本丸と中之丸の堀底を行くと土塁がある腰郭がありましたが案内板が無くモヤモヤ。更に進むと西ノ丸があるみたいですが民地のせいか未整備。学童クラブの駐車場付近に辿り着きました。国史跡の割には?
きよしき城。鎌倉期宝持元年(1247)相模国渋谷庄司渋谷光重が地頭職に赴任されて、子の五郎定心が入来院地頭となった。以降子孫は入来院氏を称し中近世を通じて清色城を本拠とし明治維新にいたる。神秘的な空堀で有名な国指定の城。りっぱな駐車場から小学校前の城石柱、物見之段、求聞持城、中之城、本丸、松尾城、空堀、案内板入口と散策しました。2022訪城。
1月、成人式の三連休時に訪れました。貸切状態。入来麓観光所→入来支所→入来小学校と進みます。小学校の階段下に清色城の石柱がありますが、階段上の小学校の中は当然ですが通れません。入来小学校の前には、江戸時代に積まれた石垣が残っています。小学校はそのまま通り過ぎ、案内表示に沿って左折します。堀切は、ネットで見た画像よりもダイナミックです。夢中になって、写真撮りまくりました。堀切だけでも来た甲斐がありました。堀切から本丸跡は、距離は短くても急な勾配です。絶対にスニーカーで行ってください。パンプス類はやめましょう。西之城、中之城、松尾城が倒木のため行くことが叶いませんでした。帰りのバスの時間を事前にチェックしてください。入来麓観光所でも教えてもらえます。
台風の影響によると思われる大雨が原因の崩土の為、立ち入り禁止になっていました。台風の影響で他の城址も立ち入り禁止が多々あるかもです。
入来麓の駐車場が利用でき、隣の観光案内所で城跡までの経路を聞くことができます。過去には城域を一周できたそうですが、現在は西側からは登城できず、南側から中之城を往復するだけになります。最初の堀切が圧巻でした。曲輪の屹立した切り岸の間にあり、深さがありここまで幅の狭い堀切は無いように思われました。本丸と中之城まで進め、その間を降りて開けたスペースが有り土塁が見られました。
真夏の炎天下訪問。切り通しの勾配は急、運動靴がいいでしょう。(入口に杖が置いてあった。2本使用がお勧め)観光案内所\u0026地元の方からマムシに気をつけてと言われたので奥まで周遊せず、坂を登って引き返す。
続百名城にも属していませんが、立派な堀切が見れるとの情報で訪れました。ナビで誘導すると武家屋敷らしき路地を進み登山口まで誘導しますが、駐車場は有りませんでしたので、旧増田家の前を通り過ぎ、お仮屋馬場(清色小学校下側)の駐車場に停めました。登山口からすぐに堀切は現れますが、本丸跡を目指すにつれ、急な坂が現れたのでストックがあって正解でした。丸太で整備された階段のお陰で無事行って来れました。
南北朝時代に入来院氏が築城したシラス台地の山城一国一城令により廃城ご城印、駐車場は入来麓観光案内所遺構:土塁、郭、断崖絶壁の空堀。
旧増田家の見学ついでに足を運べる距離にありました。入来の武家屋敷を見学されるならこの堀切まで歴史を感じながら足を運ぶのも良いかと思います。登り切った先に本丸等に続く道がありますが、あまり整備されてる感じではなかったので、山城好きな方以外は見学はここまででいいかも?
| 名前 |
清色城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒895-1402 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名161−2 |
周辺のオススメ
清色城は国の史跡に指定されている。周辺の入来麓を観光する人は多いが、山城である清色城を訪れる人は多くないようであった。駐車場は入来麓観光用の無料駐車場を利用するのが便利である。清色城もシラス台地を加工して築かれた南九州型(群郭式)城郭である。広大な城域を持ち、本丸、中之城、松尾城、求聞持城、物見之段、西之城など多くの郭を持つが未整備のエリアもあり、立ち入り禁止エリアも多い。案内板が劣化し倒れていた西之城は立ち入り禁止であった。うまく周遊するとそれ以外の郭は見学可能である。見所はシラス台地の城特有の深い空堀と鋭い切岸である。特に案内板からすぐの位置にある空堀は圧巻である。幅2~3mに対し高さ20mほどありその切岸はほぼ垂直でありまるで山を縦に割ったような印象を受ける。清色城は知名度こそ高くないが、国の指定史跡であり、その規模、内容ともに訪問して損のない城である。清色城は薩摩の国人領主入来院氏によって鎌倉時代~南北朝時代頃に築かれた。その後、戦国時代に入来院氏は島津氏の傘下となる。入来麓は長く入来院氏によって治められ、清色城はその居城であったが、江戸時代の一国一城令の頃に廃城となり居館は地頭館へと移された。