高杉晋作が隠れた井戸!
高杉晋作のひょうたん井戸の特徴
高杉晋作が身を隠したひょうたん井戸の貴重な場所です。
井戸の近くには長府藩士の激しい歴史が息づいています。
狭い路地に隠れた静かな史跡で、訪れる価値があります。
民家の敷地内になるんでしょうか、ちょっと入りにくいです。ワンちゃんにも激しく吠えられました。
高杉さんが藩の保守派に命を狙われた時に身を隠していた井戸ですが、普通に人んちにありますので、写真一枚撮るくらいにした方がいいです。
どうもこうも狭い路地の中にあって小さい井戸があって「へー」って感想しか無かった。普通の民家の中にあるので、近隣住民はあんまりいい顔をしない。そして番犬がうるさかった。
随分前井戸さらいをしたが何も出てこなかった。出てこなくても不思議はないがここに隠れていたせいで労咳になったという理論にもいろいろ思うけれどこの看板を立てるにも晋作好きの方々の並々ならぬ努力がありいろんな意味で幕末ファンのツボだと思う。真偽はともかく是非お立ち寄りあれ。
晋作が隠れたひょうたん井戸こんなところに、ひょっこり!
高杉晋作が隠れた井戸。
長州藩が幕府の征討軍に屈した(第一次長州征伐)あと、藩内は親幕府派の俗論党が政権を握っていましたが、高杉晋作は元治元年(1864年)12月クーデターを敢行して政権を奪い返し、藩は再び倒幕路線に戻っています。政権を掌握した高杉が次に行おうとしたのは、下関の開港で、来たるべき対幕府戦に向けて経済力を高めようとしたようです。それに対して、攘夷に固執する勢力が、変節した高杉を討つべく暗殺団が結成され、高杉晋作、伊藤俊輔や井上聞多を狙っていました。高杉はしばらく下関で潜伏生活を続け、慶応元年(1865年)の4月に愛人おうのを連れて長州を脱出し、琴平の日柳燕石(くさなぎえんせき)を頼り、2か月ほどを四国で過ごしています。このひょうたん井戸は下関潜伏中に丸1日、刺客から身を隠すためにもぐりこんだ井戸と伝えられているようです。
四カ国連合艦隊への攻撃に失敗し、攘夷を止めた高杉晋作、伊藤博文などは長府藩士の攘夷激派につけ狙われた。高杉晋作はこの井戸に一日中隠れた。しかしながら、疲れから遂には病になり、小倉戦争の最中、林算九郎宅で亡くなることになる。
名前 |
高杉晋作のひょうたん井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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民家の庭にありました。