神聖なる太宰府の静けさ。
延壽王院(西高辻宮司邸)の特徴
門口から感じられる神聖な雰囲気が魅力的です。
菅原道真の記念碑が横にあり、歴史を感じる場所です。
中には入れなくても、静かな神秘的な感覚が味わえます。
私は中岡慎太郎推しです。ここは、尊皇攘夷派で京都にてブイブイ言わせていた5人のお公家様――「五卿」が都落ちして滞在しました。つまり、幕末を愛する者にとっては外せない聖地✨1863年、「八月十八日の政変」。尊攘派の公卿は朝廷から一掃され、会津藩や薩摩藩によって京都を追われます。(七卿落ちと言われます)味方の長州を頼った七卿は、やがて五人に減り、最終的に太宰府・延寿王院に身を寄せました。彼らは京都から退いたものの、尊攘運動のシンボルとして志士たちの心を支え続けました。土佐藩を脱藩した中岡慎太郎も、長州での活動をしながら尊皇攘夷派の象徴である彼らを支え、時にはお世話をしながら交流を重ねます。この経験が、後に薩長同盟の周旋や、三条実美と岩倉具視を結ぶ役割へとつながっていく。延寿王院はまさに、慎太郎が「周旋家」として羽ばたく起点のひとつと言えるのです。…って訳で、私はここに来たんですが。延寿王院は、今も個人宅。幕末当時は三条実美の親戚の方が住んでいたことで、そこに五卿が滞在したんです。だから――個人宅に入れるわけがない!!!🤣門の前には通せん棒。ダメ元で四方を回ってみましたが、高い壁に囲まれていて、まったく見えません🤣進入禁止の延寿王院。なんとここには、敷地内に五卿の石碑があるんです。遠目にしか見えない!!!でも大事なのは、ここに延寿王院がある、ということ。そして慎太郎も、龍馬も、西郷も、高杉も、この参道を歩いたという事実。胸が熱すぎる…🥹---ここに来た方は、ぜひそんな幕末の香りを嗅いでみてください。
太宰府天満宮にある建物。天満宮が神仏習合の安楽寺天満宮だった時代の宿坊で現在は宮司さん宅。幕末には八月十八日の政変で都落ちした三条実美をはじめとした七卿がここで滞在し西郷隆盛や高杉晋作など名だたる幕末の志士達が訪ねてきて倒幕の機運を高めた歴史的な場所でした。しかし明治になると新政府の神仏分離令を発端とした廃仏毀釈によって社僧は迫害され御堂や仏像が破壊、更には天満宮の御神体であった菅原道真公直筆の法華経まで焼かれるという被害に遭いました。これでは恩を仇で返されたようで何とも不憫ですね。
2015/03/28来訪。太宰府天満宮が安楽寺天満宮と呼ばれていたときの宿坊。現在は太宰府天満宮宮司、西高辻家の邸宅となっている。
八月十八日の政変で都を落ちた五卿が、長州を経て、太宰府において逗留した場所です。立入禁止ですが、外から邸内にある『五卿遺蹟』の碑が確認できます。五卿はそれぞれ五つの藩(筑前福岡・筑後久留米・肥前佐賀・肥後熊本・薩摩)に預けられる予定でしたが、五卿は一処に住みたいと要求。他の坊に移ることを提案するも、拒否。当時の天満宮別当だった大鳥居家は、家移りを余儀なくされたとのこと。また、五卿は福岡藩主の交代を画策。それが藩主・黒田長溥の耳に入ったことが勤王派への弾圧(乙丑の獄)につながったとの説もあります。なんだかなぁ~、ですね。KYですね。天子様のご威光を笠に着て・・・と言われても仕方ないですね。菅原道真公の嫡流・高辻家から分家した、西高辻家の邸宅となっています。太宰府天満宮の宮司は、西高辻家が世襲しています。
太宰府天満宮の西高辻家の邸宅となっていて非公開です。
雖然不能進去,但在門口就可感受裏面神聖寧靜的神奇感覺。
当時は開放されておらず、門しか見えず、門の横には菅原道実宋の記念碑がありました。(原文)當時沒有開放入內參觀,只能看到大門,門邊還有菅原道真的歌碑。
中まで入れませんでした。
拝観できないのが残念。
| 名前 |
延壽王院(西高辻宮司邸) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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歴史を感じました。