太宰府・田中の森で出会う伝説。
田中の森(西の陵)の特徴
田中の森の碑は船石の帆のような形をしています。
地元の伝説が息づく田中の森は神武天皇の行在所の警護地です。
福岡県太宰府市にある文化遺産としての重要性が高い場所です。
太宰府市文化遺産【登録番号】G0008【名称】田中の森(西の陵)【文化遺産情報】地元に伝わる伝説によれば、四王寺山に設けられた神武天皇の行在所を警護した田中熊別という長者の墓がこの付近にあって、「田中の森」(別名「西陵」)とよばれていた。通古賀交差点の近く、鷺田川にかかっている橋が田中橋、その一帯の小字を田中という。田中長者の伝説として知られる。テレビの『まんが日本昔ばなし』の題材にもなってます田中長者放送回:0314-A 放送日:1981年11月07日(昭和56年11月07日)演出:やすみ哲夫 文芸:沖島勲 美術:あかばんてん 作画:やすみ哲夫( 福岡県 ) 12108hitあらすじ昔、九州の太宰府に近い通古賀(とおのこが)という所に、田中長者(熊別)と言う大変な長者がいた。その屋敷の広さと言ったら、使用人でさえ迷子になる程で、また屋敷には数えきれないくらいの蔵があった。そんな大金持ちの田中長者(熊別)であったが、決して人に対して威張るという事はなく、そのため村人や使用人たちからたいそう尊敬されていた。ところで、この通古賀から山一つ隔てた隣村には、これまた大金持ちの虎丸長者という長者がいた。この虎丸長者は、田中長者(熊別)とは対照的に、自分が金持ちであるという事を鼻にかけ、いつも隣村の田中長者(熊別)に対抗心を燃やしていた。ある時、虎丸長者は自分の財力を通古賀の村人や田中長者(熊別)に見せつけるため、千人の使用人を引き連れて、太宰府の寺にお参りに行くことにした。千人の長い行列は、太鼓や笛などを鳴らしながら、にぎやかに通古賀の村を通り過ぎて行く。さて、その太宰府からの帰り道のことであった。虎丸長者が田中長者(熊別)の屋敷の前を通りかかると、折から雨が降り始めた。虎丸長者はちょうど良いと、田中長者(熊別)から傘を千本借りることにした。いくら田中長者(熊別)でも、傘千本は用意出来ずに泡を食うだろうと思ったからだ。ところが田中長者(熊別)は、新品の傘を千本いとも簡単に用意して、虎丸長者の使用人に持たせた。これに悔しい思いをした虎丸長者、何とか田中長者(熊別)に一泡吹かせようと、今度は千人の大飯食らいを集めた。傘を返すのを口実に、田中長者(熊別)の屋敷に千人の大飯食らいを昼飯前に向わせたのだ。これにはさすがの田中長者(熊別)もさぞ困るだろう。ところがどうだろう。田中長者(熊別)の屋敷では、ちょうどご飯を多めに炊き過ぎたと、千人の大飯食らいをもてなし、さらに食べきれなかったご飯は、一人三つずつお握りにして渡し、計三千個の握り飯をもらって帰って来たのだ。これを見て、とても太刀打ち出来ないと思った虎丸長者は、二度と田中長者(熊別)と張り合おうとしなかったそうだ。
名前 |
田中の森(西の陵) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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田中の森の碑、船石の帆のような形をしています。田中の森の碑の近くに、今は失われた小字名「田中」を伝える太宰府市の碑があります。