蟹江城址で歴史探訪を!
蟹江城跡の特徴
住宅街の中にひっそりとある蟹江城跡、静かな公園の空間です。
有名な蟹江合戦が行われた歴史深い場所として訪れる価値あり。
立派な石碑が印象的な蟹江城址、公園としてはシンプルで落ち着いた雰囲気が漂う。
東京から2時間10560,名古屋で新幹線から四日市方面各停に乗換4駅目蟹江駅南口から徒歩20分位、現在は記念碑が残っているだけですが、小牧・長久手の戦いの次に織田信雄・徳川家康連合軍を豊臣秀吉が滝川一益や九鬼嘉隆を先鋒に調略して蟹江城を、占拠するも応じなかった山口重政らの反撃で結局和平の流れに。津本陽氏の下天の夢夢のまた夢邯鄲の夢信長秀吉家康の3部作で秀吉の賤ヶ岳に匹敵する家康の勝利とあったので尾張名古屋は城で持つですが敢えて此方を訪問しました。
周囲の道路はとてつもなく狭いので車では来ない方が良いかも、公園は石碑と案内とベンチのみ。祝日だったからか歴史資料館は閉館さしてました。
「小牧長久手の戦い」で秀吉大敗による雪辱戦となった「蟹江合戦」の舞台となった城。現在は石碑と本丸井戸跡を残すのみです。近くの歴史民族資料感にこの戦に関する展示物が有ります。
毎週、地元の城址を巡るのが好きで、本日は蟹江城址へ。まずは、蟹江にある歴史資料館へ🏍️産業文化会館から中に入ると、いくつかの部屋があります。蟹江出身の文豪、蟹江新田について、低湿地の水田における農具の展示、そして、蟹江合戦について…などなど、ゆっくり見てまわっても小一時間かからないくらいでした。そのあと、歩いて2分ほど南下していくと、城址がありました。静かな住宅街の中にひっそりと佇んでました。やはり、他の方のレビューにあるように蟹江合戦の資料が少なかったです。想像でも構わないので当時の模型などが展示されていたらと思いました。まあでも、足りたいところは、携帯でで調べながら見学すれば大丈夫です。やはり、愛知当然ながら、どの城跡も信長、秀吉、家康が絡んできます。日本のど真ん中で、熱い漢たちがいたと思うと自分も頑張れます!
戦国時代には、本丸・二の丸・三の丸の三郭があり、大野・下市場・前田の三つの支城がありました。天正12年(1584年)に起きた蟹江城合戦と翌年の大地震で崩壊し廃城になりました。現在は住宅地に城趾の石碑と本丸井戸跡が残るのみです。近隣にある蟹江町歴史民俗資料館に城趾の地図があります。資料館の駐車場から数分の所です。本丸井戸跡は、民家の塀に隣接しポツンとあるので少し探しにくいです。
産業文化会館から狭い道を南西方角に歩きます。休憩場所のようなスペースがあり『石碑』がありました。「蟹江城は永享年間に北条時任が築城したとされる。天正12年には小牧・長久手の戦いの一部として激しい戦いがあり、蟹江合戦として知られている。城は翌年の地震により廃城となり、現在は石碑と本丸井戸跡が残るのみ」とありますが、『本丸井戸跡』を見つける事はできませんでした。この敷地は『蟹江城址公園』公園と言っても、観光案内マップが掲示されているのと、正方形の座れる休憩場所があるだけでした。(2023/6)
信長がこの蟹江城から清須攻めの時に進軍した城だと言うことで訪問しました。かつての蟹江城は、南部が伊勢湾に面して、水上交通の要衝地でした。永享年間(1429~41)に北条時任が蟹江に砦を築きました。その後、尾張国の守護であった斯波氏が城郭として整備し、天文年間(1532〜1555)には渡辺源十郎・与三郎親子が支配しました。永禄年間(1558〜1570)には織田信長の勢力下には入り、信長は配下の滝川一益に命じて改築をさせています。その後、天勝11年(1583)には佐久間正勝(信栄)が城主となりました。蟹江城をめぐる戦いは何度かありましたが、なかでも天勝12年(1584)に織田信勝・徳川家康連合軍と羽柴秀吉の配下・滝川一益軍との間で行われた戦いは「蟹江合戦」として、後世に伝わっています。織田家臣だった九鬼嘉隆さんもこの時参戦していました。私は、信長の命によって鉄板船を造った九鬼さんのファンですので嬉しくなりました。遺構は残っていません。唯一井戸跡が残っています。駐車場は、近くの歴史資料館の駐車場が借りれます。城跡は駐車場から徒歩1分です。
真田戦記蟹江城跡愛知県海部郡蟹江町城1丁目112蟹江城は永享年間(1429年 - 1440年)に北条時任なるものが築いたのが最初とされています。1567年頃、織田家で北伊勢攻略の時、先鋒を命ぜられた滝川一益がその一時期、居城としていたようです。この城をめぐり1584年に起こった羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍との間でひと戦行われます。戦は篭城戦でした。当時は前田長定が留守を守っていました。滝川一益は秀吉陣営として参戦しています。秀吉は神戸城に陣していた一益に蟹江城乗っ取りを命じました。一益は九鬼水軍とともに六月十六日、沖合いから川を遡り、蟹江城に迫ります。それを聞いた織田信雄・徳川家康連合軍側も織田信雄は兵2千、家康も手勢を率いて出陣します。勝算のないことを悟った一益は降伏を申し入れました。翌年には天正地震により崩れ廃城となりました。
信長亡きあと、平和であった尾張も、戦場となりました。歴史の表舞台に立つことになった蟹江合戦の跡。きれいに後世に残そうとされています。
| 名前 |
蟹江城跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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蟹江町民俗資料館のすぐそばです。周辺は道が狭く通行がほぼ難しいです。中世のお城で現在は跡形もありません。蟹江町が色々と整備はしてありますが………。