東京の最果て、紅葉と城跡の冒険。
檜原城跡の特徴
吉祥寺の墓地を越えて登る、急峻な山城の魅力です。
武蔵五日市駅からバスでアクセスできる絶好の場所です。
紅葉が美しい秋季に訪れると特に感動的です。
吉祥寺のお墓の中を通って登ることになるので初めは面食らいましたが道標が各所にあります。登山道入り口と登りきった郭の平地にそれぞれ東京都教育委員会の説明パネルが設置されています。幾重にも続くつづら折りの道で高さの割には登るのがきつく感じました。(2025年1月)
上までは想定より、登る感じでした。高さがあるので、先日、苦い思いをした臼木山を見ることができます。ベンチで甘酒を飲みました。しっかりとした竪堀もあり、小さいけど、良い縄張です。2023/8/28
2018/12/2とにかく紅葉がきれいだった。麓の吉祥寺は城主の居館であったらしく、また倉には北条氏の家紋がありなぜかいい気分。ここは北条氏の時代には平山氏が守っていたらしい。肝心の城跡は簡単な造りだが、切岸は明確であり、三重の堀切がある。
麓にある吉祥寺から登ることが出来るが20分くらいかかり傾斜がきつくない割に結構きつかった室町時代からある城らしいがその後北条氏が掌握し境目の城として重視されていたらしいが、秀吉の北条攻めの際に落城したとのこと重要な城だったようだが随分と小規模で10分もあれば見て回ることが出来る一番上の郭に地蔵があるがその裏に岩場を堀切った三重堀切が特徴的だった。
❶【参考 城山 桧原・ふるさとの覚書 1980年】築城の年代は 応永21、22年頃(1414年、1415年)と言われているが、確たる年月は分からない。南秋川、北秋川、払子沢川という3川の断崖で仕切られた中に、突兀(とっこつ)とそびえる独立山である。鎌倉4代官領 足利持氏 の命により、当時 南一揆を率いた実力者 平山_三河守_正恭(まさやす)が築いた。当時の目的は 甲府塩山からの鎌倉攻めの脅威するところから、これを制圧するための物であった。そのため封建諸侯の城下町のような要素はない。平山氏の子孫数代ここにいて、公方家官領家につかえ、北条氏に随身する。天正18年7月12日 北条家が豊臣軍に滅ぼされ、桧原城も同日に落城し、廃墟に帰した。城の使命が甲州方面に対する防御という目的であった城であった。大手は西側、浅間尾根通路を抑える所にあった。今も大手防備の跡として三重、四重にほられた土塁の跡がある。ここに石のかたまりを用意して、よりての頭に大石を転がしたものという事である。❷【参考 愛宕神社 桧原村史】愛宕神社以前は雑司の裏の「タテヤマ」にあった。浅野セメント株式会社(現 日本セメント)に山の所有権が移ってから現在地に遷座した。「風土記」「寛永水帳」には載っていない。[鎮座地] 本宿城山山頂[祭神] 将軍地蔵[例祭日] 4月24日。
吉祥寺に車を停めて、墓地を越えて登る。
吉祥寺背後の山に有る城跡。吉祥寺の背後、本堂左側から城跡へ向けて遊歩道が付けられているのでトレッキング気分で歩くことができる。この遊歩道は斜面にジグザグに付けられており、そのため斜度はそれほど無いと思ったが結構きつい。山の斜面がかなり急なため、つづら折れの道でも急な坂道になっているからだ。遊歩道はかなり整備されているが、それなりに山道なので運動靴かできたらトレッキングシューズの方が良いだろう。城跡はさほど大きくないものの、曲輪や切岸、堀切等が見受けられる。特に尾根を断ち切る三重の堀切は、深くないもののなかなか見応えがある。
武蔵五日市駅からバスで本宿役場前まで。そこからは歩いて5分ほどで登城口に到着。そこからは登りで25分ほどかかります。
秋川と檜原街道をおさえるように聳え立つ中世山城です。急峻な山ですが主郭背後の三重堀切はぜひ見ていきましょう。なお山麓へと続く長大な竪堀状の地形がありますが、林業で材木を運び出した跡だとも、要検証です。
| 名前 |
檜原城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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