鎌倉時代の本堂と三つ塔の神秘。
姥子社の特徴
鎌倉時代からの歴史がある、伝統的な場所です。
元々は姥子前に位置していた、由緒あるスポット。
横浜市戸塚区上矢部町に移転した新しい拠点です。
2023/3/19本堂について追記。古地図を見て、姥子社の元の場所が想定できた。先ず、上矢部ー岡津の旧大山道(現瀬谷柏尾道沿い)は阿久和川の土手道だった。阿久和川の両岸は帯状の荒れ地で、荒れ地の先は山だった。その山のふもとに沿って、ほぼ旧大山道と平行に、「藤井ースーパーTAIGA裏」まで細い道が通っていた。その道は現「上矢部あおぞら公園」と山の上の「上矢部第五公園」の間を通り、その辺りに堂が建っていたようだ。(2022/10/1)ここは住宅地の中の整備された区画の片隅。道路から階段を数段登れば社が見える。神社と違うので、社の中には一体何が有るのだろうか、皆目検討がつかない。社の左奥には道祖神、その他石塔が在る。きれいな案内板がある。普通は剥げて読めないくらいなのだが。上矢部各地区の旧名称などを知り得ない訪問者にとって、社の概略がわかるのは良い。ただ、説明が随分はしょられて、簡単過ぎる。詳細が知りたく、資料を調べた。この社ができた経緯は以下のようだ。当地の領主、矢部庄司為行(やべしょうじためゆき)の死後、為行の姥は尼になり、為行の墓の近くに庵を建て、草花をつんで墓に供えた。それを偲んで、(たぶん村人が)社を建て、祭神を姥とした。それがこの姥子社。あまり疑いを持たず、なるほどと言える言い伝えである。結局、姥子という地区は、ここから半径140m以内に有るようだが実際何処かはわからない。南西方角で、近くに姥子ハイツの名がついたアパートが有る。これ以外姥子が付いたところは無さそうだ。現在の「矢部」の名は、鎌倉時代の領主の名から来ているのかな。
元々は姥子前という場所にあった。名前も地名に因むものであろう。境内にある道祖神も同地もしくは周辺から移したのだと思われる。
鎌倉時代からあるそうです。
| 名前 |
姥子社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
〒245-0053 神奈川県横浜市戸塚区上矢部町1526−40 |
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大きな木に隠れるように塔が3つある。右の庚申塔には、文政三辰年 上矢部番場谷講中とある。1820年。中央の道祖神には、天保四巳年 上矢部番場谷とある。1843年。左には安政二士月とあるようで、干支は見られない。安政2年の11月ということならば1855年か。また、英信造立之ともある。2024年12月27日、前を通りかかったところ、隣の日月社とともに工事に入っていた。少し高台になっていたはずだが、土を除けてコンクリートを、流し込んでいた。既に社は取り壊されて全くないようだ。石碑類はいったいどうしたのだろうか?もともとこの付近の住宅地化に伴ってここへ移転されたとの情報があったが、存在した歴史が消されていくことは、手放しで喜べない。