浄蓮寺の静寂で心洗われる。
淨蓮寺の特徴
杉が天然記念物に指定された静かな境内が魅力である。
日朗上人による歴史的な由緒あるお寺で心が洗われるようだ。
近くの道の駅でのアクセスも良く、花火のお会式が毎年楽しめる。
裏山がそつくり境内や墓地になっているのか、寺域はとにかく広大で、並んでいる伽藍も立派…。歴史に残る人物の墓所などもある名刹で、寺宝も多く、また村の観光スポットのひとつになっている。水を打ったような静寂の境内に、天を仰いでまっしぐらにそそり立つ杉の大群は、まさに値千金で壮観そのもの…瘡守明王堂のそばにそびえる太さが際立つ杉は、呼び物のひとつ。2025/7/5
丹党一族の弥四郎時秀が大河原に移住し、在名を氏としたそうです。その後、時行、国村、光興の3代にわたり居館したそうです。光興は仏教に帰依し、浄蓮と号して浄蓮寺を開祖したというが、真偽は不明です。「日本城郭体系」によれば、浄蓮寺は安戸城の麓の館と推察しています。確かに寺域から安戸城が手に取るように見えます。上田氏は、比企郡吉見町の松山城主です。松山城の他、関八州古戦録(関東古戦録)に登場する、青山城、腰越城(安戸の砦)も上田氏と深く関わった城と考えられます。関八州古戦録の詳細は、永禄4年(1561)12月、上杉新蔵人憲勝の守る松山城を、北条氏政、大石氏照、北条綱成の3万余騎が、翌永禄5年正月、武田信玄、武田義信2の万5千余騎をもって攻め、永禄5年3月2日、開城させたことです。氏政は、新蔵人憲勝に武州都築郡で300貫の知行を与え、松山城には上田暗礫斎と同上野介朝広を戻して、青山、腰越の砦とともに固く守らせ、その後退陣したと記されています。上田朝直墓もあります。県指定史跡上田朝直墓指定年月日 昭和5年3月31日浄蓮寺墓地内にある松山城主上田朝直の墓で、石製の宝塔形をした高さ1.2mのものである。上田朝直墓を中心に三基が並んで建立されており、三基とも基礎は縁取りで二区に分け反花座を置く。蓮弁はふくらみのない単調な彫りで、室町末期の特徴を良く表している。軸部正面を穿って翕を作り、両開きの扉を付した形跡を残す。また翕の上には破風があり、懸魚の形を線刻している。上田朝直は安独斉宗調と号し、天正10年(1582)10月3日に没している。左は上田政広(蓮好)、右は上田長則(蓮調)の歴代松山城主の宝塔で、松山城最後の城主上田憲定によって造立されたものと考えられる。平成24年3月東秩父村教育委員会。
2024/2/7 和紙の里、埼玉県東秩父村にある巨木の森の古刹です。深い谷に沿って林立する古い石塔群が見事です。西暦1,288年開山。日蓮宗。地元の豪族、大河原光興により開基され、同氏の館跡とも言われます。戦国時代の武将、上田朝直(ともなお)の墓地があり、両氏共に、平安後期から戦国時代迄、東京、埼玉を中心に活躍した武士団(武蔵七党)の棟梁です。境内には小さな八坂神社の社殿もあり神仏習合の名残りが見られます。駐車場は参道入口にある公民館にあります。それでは皆様良いご参拝を!
「浄蓮寺境内林」として、杉が東秩父村の天然記念物に指定されています。林立する巨木は見応えがあります。
山門を潜ると、静けさに包まれた空間が広がります。「瘡守明王」の扁額の掲げられた建物は稲荷堂でしょうか?その前に鎮座する狐様はとても愛嬌のある造形です。
由緒あるお寺で、どこか気持ちが洗われるような、不思議なオーラを感じます。お寺ですが…『鬼子母神』を奉ってある一角があります。
日蓮聖人の本弟子である日朗上人が開山し、埼玉県にある日蓮宗寺院の中でも長い歴史を誇るお寺です。東秩父ののどかな地にありますが、それと相まって、境内にはゆったりした時間が流れており、「信仰の寺」というような佇まいでした。秋の御会式は露店が出るなど賑やかなようで、是非そのときにも参拝してみたいと思います。因みに、東秩父村の「御堂」という地区にありますが、この「御堂」とは浄蓮寺のことを指しています。地名になるだけの歴史があり、人々の心の拠り所なのでしょう。友人が御首題を戴いたのですが、年末年始の準備で忙しい中、快く対応下さいました。御住職様・副御住職様とも腰が低く、こちらが恐縮してしまうほどでした(苦笑)。
行くたびに心が癒されます‼️
毎年、お会式で花火が上がります。すぐ反対側の川縁の空き地で打ち上げているので、近くで見られます。
| 名前 |
淨蓮寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0493-82-0095 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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みかん狩りの帰りにお祭りをやっていたので立ち寄ってみました。