椿姫観音で感受する歴史。
椿姫観音堂の特徴
お田鶴の方を祀る小さな観音堂で、歴史が息づく場所です。
家康による曳馬城攻撃の舞台となった、女城主の壮絶な物語が秘められています。
地元の方に大切にされ、椿の花が咲き誇る美しい環境が魅力です。
薙刀引っさげて奮戦、討ち死に。浜松城以前の引間城での戦い。戦国の姫は、江戸時代の姻戚関係構築のための姫様、とは違う。お田鶴の方。家康さんは、後々までこの観音様を保護したという。救えなかった妻子のことが、心中にあったのだろう。切ない匂いがする。中華の匂いもした。今日も暑い。頭くらくら…。訪9中。
徳川家康の正室、築山御前が、戦いで命を落としたお田鶴の方とその侍女たちを哀れみ、塚の周囲に椿を植えたことから「椿姫観音」と呼ばれるようになりました。お田鶴の方は、引間城主・飯尾連龍の妻であり、夫の死後、城を守るために奮闘しました。1568年、徳川家康の軍勢に攻められた際、彼女は侍女たちと共に最後まで戦い抜きましたが、命を落としました。家康はその勇敢さに感銘を受け、遺骸を手厚く葬り、築山御前が塚の周囲に椿を植えたことから「椿姫」と呼ばれるようになりました。椿姫観音堂は、NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』や『どうする家康』に取り上げられたことで一躍有名になりました。また、浜松市の観光名所としても多くのメディアで紹介されています。観音堂は24時間参拝可能で、入場料は無料です。浜松駅から徒歩約15分の場所にあり、アクセスも便利です。
浜松を訪れたらぜひお詣りしたいと思っていたところ。浜松駅から徒歩20分くらいでしょうか。こじんまりとしながらも、音声ガイドや案内板など整備されており、近隣の方々が大切にされているのを感じます。「どうする家康」のお田鶴の方役の関水渚さんのサイン色紙もありました。
椿姫観音堂所在地 浜松市中区元浜町訪問日 2023/9/22徳川家康に攻められ、浜松古城である曳馬城で討死した「お田鶴の方(おたづのかた)」を祀る観音堂です。お田鶴の方は、今川氏の重臣だった曳馬城主•飯尾豊前守連龍の正室で、夫の死後、女城主として一族を率いました。家康が攻めいった際は、緋色(ひいろ)の鎧をまとい、なぎなたを手に戦い壮絶な死を遂げたとされます。亡骸は、現観音堂の北西5mの塚に葬られました。家康の正室•築山殿は、互いの母親が義理の姉妹だった「お田鶴の方」の死を悼み、塚の周りにツバキを100本余り植えたと伝わります。塚は区画整理を機に1944年、現在地に移され、地元住民達により観音堂が建立されたそうです。
2023年3月19日放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」第11話に出てくる椿姫観音堂です。曳馬城跡から650m東。歩いていきました。11話で椿の花のように散るお田鶴の方。お田鶴役の関水さんが放送日当日に訪問されたらしく、色紙が飾られていました。インターフォンを2回連続して押すとガイド音声が聞けます。椿の鉢植えが置かれているのが嬉しかったです。つい築山殿が植えた100本の椿の木を探してしまいますものね。
お田鶴の方を祀った観音堂。日中にピンポンを押すと地元ボランティアの方による解説が聞けるそう。解説文や社の手入れは行き届いておりパワースポットの石もあるため小さいながら存在感がありました。
住宅街の中、信号の無い交差点に突如現れるという感じです。浜松の歴史の一幕を感じます。祈願石というものがあるのを知りませんでした。
椿姫u003dお田鶴の方👸夫の曳馬城主/飯尾豊前守連龍の死後は女城主、1568年(永禄11年)、家康が遠江進攻、お田鶴の方主従が籠る曳馬城に対し開城明け渡しを申し入れ、お田鶴の方は徳川方の申し入れを撥ね付ける❗️徳川方は曳馬城に総攻撃、お田鶴の方は薙刀片手に侍女達と奮闘も多勢に無勢城兵と共に討死⚔️⭐️伝承⭐️お田鶴の方の椿屋敷に家康が観音堂建立、家康の正室/築山殿が義理の姉妹であったお田鶴の方の死を哀れみ塚の周りに100本の椿の株を植え、毎年、椿の花が咲き誇った事が椿塚u003d椿姫の名の由来とは😢観音堂内も綺麗にされていて、街角に佇む御堂、皆さんに大切にされていると実感✨その後、椿を植えた築山殿も非業の最後を、哀愁の歴史😢
討ち死にした城主田鶴の方と侍女たちを椿を木を植え弔ったのが始まりだそうです。チャイム(スイッチ)を鳴らすと案内アナウンスが流れると書いてありましたが、流れませんでした😭
| 名前 |
椿姫観音堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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浜松八幡宮から浜松城へ向かう途中に見かけ、お参りさせていただきました。地元の方々に大切にされているのがわかります。小さな観音堂ですが祈願石があります。