本多忠勝の記憶を辿る、静謐な九華公園。
桑名城 天守台跡の特徴
桑名城は本多忠勝が築城した堅牢な海城で、関ヶ原の戦い後に整備されました。
現在は桜が美しい公園で、地元民の散歩道として親しまれています。
石垣や少ない建物跡が残り、歴史を感じさせる深い味わいのある城跡です。
関係ない写真が多い。これが本当の天守台跡です。階段が崩壊の恐れがあるため、登れません。神社の右側にあります。隣は市民プール。
関ケ原の戦いで、軍功認められた「本田忠勝」は木曽三川の集まる港、京と関東の要所である桑名城を家康から与えられ築城している。また彼は57回にも及ぶ合戦で傷一つも負わなかった武人であったともいわれている。また家康に対して昔から忠義に厚く徳川四天王の一人とされていた。忠勝の亡き後、幕末期には桑名藩では幕府側か新政府軍側につくかで大いに揉めており、なんと神前で「くじ」で決めていたという⁈しかし松平定敬(さだあき)は頑なに先代から守り抜いた政権を守り、藩を分けても幕府軍側につき、会津藩と共に函館でも最後まで戦っている!また「定敬」は兄である会津藩主「松平容保」よりも11才年下にあたる!その後官軍の勝利で終え、桑名藩は五万石削減され藩士は散り散りにされたがその後、松平定教(さだのり)の時代には桑名藩は存続され残されている。後に廃藩置県により廃城され「九華公園」(きゅうかこうえん)とされるに至る。しかし江戸時代からは立地場所の形状から扇城「おおぎじょう」とも呼ばれたり、九華を「くわな」とも呼ばせていたとも言われる.......。
桑名藩初代藩主となった忠勝の桑名城跡。戦国最強と謳われた、本多平八郎忠勝🗡️の銅像が入口を守っていました。城跡は、堀割りと天守台以外面影は殆ど残っていません。しかしながら、雰囲気の良い公園となっており、賑わっていました🌸
三重県指定史跡2024年2月中旬、桑名宿探訪の際に寄りました。説明板には————————————————————-桑名城天守台跡のご案内此処は桑名城天守閣が聳えたっていた址で、三重県指定史跡である。松平定綱公の寛永年間(1635~1651)に城郭が完成し「海道の名城」と讃えられます。元禄14年(1701)2月城下より発した猛火に襲われて城も焼失。天守閣は再びその雄姿をあらわすことなく、明治廃城に到りました。現在の石組みは昭和53年5月に、楽公没後150年記念大祭協賛事業の一環として、新しく巨石を入れて献備したものである。———————————————————とあり「四重六階」の複合式「天守」という割には小さいなと思っておりましたが、石垣が規模が縮小されて積み直しされたと知り納得また頂上に戊辰殉難招魂碑が建っています。
柿安にお買い物ついでに寄ってみた城跡的なものはあまりない野球場やプールなどに変わってます神社でお参りして帰って来ました。
本多忠勝(徳川四天王の一人)が、関ヶ原の戦いの功績により、伊勢桑名10万石に国替えし築城した堅牢な海城。「海道の名城」と呼ばれたが、城主が変わり焼失、明治になり堅固な石垣は港の復興などに使われ、今はその姿を観ることができません。九華公園として、人々の憩いの場になっているようです。なお、国替前の千葉県の大多喜城は博物館として模擬天守閣が建てられてます。(現在改装のため休館中)
【概要】 関ヶ原の合戦後に築かれた本田忠勝の城。昔は95の櫓を擁する名城だったと伝えられています。その堅固さは、川を利用し、堀でしっかりと囲まれた姿からうかがえました。【アクセス】 桑名駅から自転車で約10分。路線バスも利用可能です。観光案内所でパンフレットを入手しましょう。【見どころ】 本田忠勝の銅像、美しい水堀、天守台跡(神社奥にあり)
堀巡りの、舟が今日までだったので乗りました。桜は満開が先週だったようですが、とってもスリルもありの時間を過ごさせて貰いました。
隣で野球の試合をしていました。天気も良く、人もまばらで静かに見ることができ素敵な時間でした。桑田藩^_^幕末関わっていたことは知りませんでした。会津藩、桑名藩、慶喜公と幕末、薩摩藩、長州藩と戦ったという話。最後は自分の意思で最後まで戦い抜いた藩士も。歴史の奥深さにまたしても感動するばかりでした。この後、城郭をゆっくり歩き、文化財に指定されている石垣や、刻み石などを見てまわりました。
| 名前 |
桑名城 天守台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11219,234,410,html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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「扇城」との異名を持つ桑名城。その城址を整備した九華公園。九華は「くわな」と呼ばせ、中国に九華扇という扇が有った事が「扇城」たる所以だそうです。往時は51もの櫓が有ったという超巨大なお城。その天守閣たるや、さぞかしゴージャス且つ勇壮だったんだろうなーとロマン心が掻き立てられますが、現在残るのはプール裏の石碑のみ····。しかも結構分かりにくい場所で探すのに苦労しました。鎮国守国神社の右手奥が正解です。