五郎沼の古代蓮、色彩の花畑。
五郎沼の古代蓮の特徴
中尊寺から株分けされた美しいピンク色の古代蓮が魅力です。
五郎沼脇に咲く古代蓮は、品のある美しさを楽しめます。
春には桜、梅雨時には印象的な古代蓮が見頃を迎えます。
まさに花🌼咲いていましたよ😃
2022年7月24日に古代蓮の花を見に訪れました。源頼朝は、文治5年1189年に奥州藤原氏の平泉を攻め滅ぼしました。奥州藤原氏4代の泰衡は、秋田県大館市の比内まで落ちのび、その地を治めていた配下である河田次郎にそそのかされて、自刃して果てました。藤原泰衡の死を哀れんだ比内の住民は、泰衡を錦神社として祀っています。河田次郎によって、泰衡の首は、紫波町の陣ヶ岡に布陣していた頼朝のともへ届けられます。頼朝は、先祖の源頼義が、前九年の役で安倍貞任の首に五寸釘を打ち込んで晒したことに倣い、泰衡の首にも同様にして陣ヶ岡に晒しました。奥州藤原氏討滅で唯一許されたのは、この五郎沼の地にあった樋爪館の主、藤原太郎俊衡だけでした。彼の祖父は、初代藤原清衡であり、清衡の四男清綱が俊衡の父に当たります。俊衡は、僧侶にさせられ、奥州にとどまり、奥州藤原一族の菩提を弔ったと思われます。昭和25年に中尊寺金色堂に眠るミイラの学術調査が行われました。関東学院大学の大賀一郎博士は、泰衡の首桶に入っていた蓮の実を研究のために持ち帰ったそうです。大賀博士の教え子であった恵泉女学園短期大学長島時子教授は、バイオテクノロジーを使って平成6年に、この蓮の実を発芽させました。更に平成10年に開花に成功します。翌平成11年に中尊寺に移植し、開花させました。中尊寺で復活した泰衡の蓮は、平成14年に、ここ五郎沼に中尊寺から株分けされ、今年も美しい花を咲かせています。泰衡の首桶に蓮の実を入れることが可能だった人物は、僧侶となった藤原俊衡その人だったと考えられます。
今年も来れて蓮の花がみれました💕咲くまでに色々手入れをしてくださった皆さんに感謝ですm(_ _)m
4.7.19 五郎沼の蓮を見に寄りました。もう少し自然に、沼に生息しているものと思っていました。
古代蓮がとても綺麗です。
春は桜、梅雨時は古代蓮。
一見普通の蓮に見えます。でも、近くにある説明板を読むと、大きな歴史の一コマを感じさせるとても奥深い蓮であり、有難いものだと理解できました。説明板には以下が記されていました。五郎沼の蓮のいわれ 囲いの中の蓮は820年前五郎沼に咲いた古代蓮です。平泉の中尊寺には藤原清衡、基衡、秀衡の三人の遺体と泰衡の首がミイラとなって安置されています。これは昭和25年の学術調査で確認されました。泰衡の首桶の中から蓮の種子が見つかり調査団の関東学院大学故大賀一郎博士が研究用に持ち帰り保存していたものを教え子の恵泉女学園短大の長島時子教授が生命工学で平成6年に発がさせ平成10年開花5年がかりで栽培にこぎつけ平成11年中尊寺に移植し初めて開花させたことが大きな話題として報道されました。この蓮については平成12年9月の五郎沼薬師神社例大祭に中尊寺の千田孝信貫首さんが出席され次のように話されました。「文治5年(1189)源頼朝が28万4千騎の兵を引き連れ陣ケ岡峰神社に陣を敷いていました。そこへ泰衡の首が届けられました。泰衡の首は頼朝の実検のあと長らくさらし首にさらされていましたがその後ひそかに祖父母たちの眠る中尊寺金色堂に安置されました。その時首桶の中に泰衡と親戚関係にある樋爪氏の五郎沼に咲いていた蓮の花を五郎沼ゆかりの夫人の手でたむけられた蓮が種子となり800年経ってよみがえったものです」この蓮は平成14年5月28日に中尊寺から株分けされ五郎沼の地に移植されました。 平成14年5月 箱清水公民館。
五郎沼脇に咲く古代蓮。見頃は7月下旬になります。時間をかけてポツポツと咲くため、割と長期間楽しむことができます。
名前 |
五郎沼の古代蓮 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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中尊寺から株分けされたハスが綺麗なピンク色で見頃でした。