大正の石と俊寛の塚。
俊寛塚の特徴
平安時代末期に後白河法皇の近臣が納められた歴史的な塚です。
大正年間に設置された刻文のない天然石の墓標が見られます。
俊寛の遺骨がある特別な場所で、歴史を感じることができます。
大正年間に墓標としたらしき石は刻文のない天然石でした。根元に固定されているひょうたん石(五輪塔の一部)が塚の古さを語っています。
平安時代末期、後白河法皇の近臣であった真言宗の僧、俊寛の遺骨が納められたという塚です。俊寛は、流刑となり送られた島で死亡し、俊寛の弟子である有王丸が遺骨を持って行脚したが桑名で亡くなったとのこと。有王丸の塚は、俊寛塚の北西50mくらいのところにあります。
| 名前 |
俊寛塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
近鉄名古屋線「益生駅」駐車場南に位置。石碑、碑廻り等綺麗に維持・管理されています。説明板が建立されていましたので、引用しご紹介します。【俊寛塚(しゅんかんづか)】俊寛は、平安時代末の真言宗の僧で、後白河法皇の近臣として活躍した。鹿ヶ谷での平家討伐の密議に参加し、捕らえられて鬼界ヶ島(きかいがしま)へ流刑となった。他の流人達が大赦で都に帰れても俊寛だけは許されず、治承三年(一一七九)島で死亡した。その悲劇的な配流生活はのちに能や歌舞伎の題材となった。俊寛の弟子有王丸(ありおうまる)は、俊寛を慕ってはるばる鬼界ヶ島を訪れたが、すでに俊寛は死亡しており、遺骨を持って全国を行脚中桑名で倒れて亡くなったと伝えられる。有王丸を葬ると共に俊寛の遺骨を納めた塚も築かれたといわれ、益生駅社宅建設時に現在地に移された。平成四年 桑名市教育委員会と、なっています。蛇足ですが、この説明文は金星堂の佐竹 寛さまの書です。