天神社の神社標で歴史探訪。
天神神社の特徴
南側には天神神社の社号標があり、遺跡感を感じます。
東側に位置する秋葉神社の社号標が魅力的です。
主祭神はしっかりと天神神社に設定されています。
南側正面に「天神神社」の社号標が、東側に「秋葉神社」の社号標が建っています。主祭神はもちろん天神様=菅原道真です。今は使用されていない手水鉢に「元禄二己巳(1689)年十一月吉辰」の紀年銘が刻まれていました。天神社が現在地に遷座したのが1645年、その後八幡宮の御旅所となり、1679年に拝殿等造営とのことなので、この手水鉢は神社造営初期に奉納された貴重なものと思われます。余談ですが、西側にかつての別当寺・長光院があり、天神神社前の狭い通りに面してなぜか二基(天神神社の鳥居と合わせると三基)並んで鳥居が建っています。ちょっと不思議な光景です。
主祭神は秋葉神社ではなく、天神神社です。「大垣祭り」の御旅所になっています。周辺にやま(車偏に山と書く、この地方での山車の呼び方)の蔵がいくつかあります。
名前 |
天神神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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美濃明細記(元文三年伊東実臣著)天神社 大垣新町、建仁の頃牛屋邑鎮座、後為城中。正保元年自城内遷座其の跡天神丸と云ふ。大垣市史。建仁の頃牛屋邑に鎮座す。大垣城築営の後城中となる。正保元年二月二十五日藩主戸田左ェ門氏鉄公城内より現今の地へ遷座す。其の跡を天神丸と云ふ。遷宮導師は牛屋山遮那院尭意なり。正保三年四月八幡宮例祭の節初めて御旅所となる延宝七年四月藩主戸田氏西公拝殿等造営あり。戸田家代々崇敬の神社たるにより社殿営繕等藩主より支給せり。従前社僧長光院管掌の所、明治維新の際神仏混淆分離に付長光院離社明治三年八月二十五日大垣藩より八幡神社神主牛屋水応より藩主へ伺を経たる上新町に於いて祭典修繕等総て管理し同町崇敬の神社とす。