歴史が息づく根戸城跡。
根戸城跡の特徴
勝手に立ち入れない私有地で、遺構が意外と残っている史跡です。
土橋や横堀、明瞭な土塁が楽しめるお城跡となっています。
北柏駅から数分、緑に囲まれた静かな空間でのひと時が魅力です。
以前は勝手に立ち入ることはできなかった。自分は、許可をいただいて見学した。土塁や空堀が非常によく残っていた。北総地区では、随一の遺構の保存状態を誇る。公開されたりしないかな、と思っていたら、近年住民の憩いの場として整備されたそうだ。キレイに遺構も見れるようなので、あらためて訪れてみたい。
遺構は意外と残っている。整備もボランティアさんたちが頑張っておられて好感が持てて星4つレベルだが、城址碑と説明板は欲しい。その分マイナス。
虎口、主郭から見た堀底、台地先端部の土塁からの手賀沼が見えました。
私有地なので、勝手に立ち入ることはできない。自分は、許可をいただいて見学した。しかし、画像はどこかに行ってしまった。土塁や空堀が非常によく残っていた。北総地区では、随一の遺構の保存状態を誇る。公開されたりしないかな。
南西側から上る。案内板も何もない。北側の先は竹林で進めない。東に堀割と曲輪跡があった。南東に下る途中に「城址は私有地」だと書いてあった。
土橋、横堀、土塁が明瞭で楽し~いお城です。私有地になってますが一声お願いすると快く見学させてもらえました(^o^)♪
2021/1/3駅前の住宅地によくぞここまで遺ることができた!奇跡的だ。台地先端の突き出た部分を切岸と空堀で切り取った感じ。二郭と台地の間の堀はかなり浅く、土塁に立って堀の向こうを見るとかなり堀幅が狭いと思った。主郭の周囲は最高。二郭との堀は少し湾曲しており、やや技巧的。北側の空堀は特に深く、更に北は垂直に切岸加工されている。この堀底を歩くと気分爽快。主郭に上がると、かなりビックリ。曲輪は完全に土塁に囲まれ、土塁の高さも2メートル以上ある。なんだかすり鉢状に掘り下げられているようにも見える。とにかく素晴らしい遺構だ。
落ち着く空間😊
トンネルのところに、城跡の説明書きがある。城跡自体は、私有地なのか、近づくことがおそらくできない・・・
| 名前 |
根戸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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根戸城跡は、北柏駅の南東850mほどの千葉県我孫子市根戸にある城跡です。根戸城の起源には、主に以下の二つの伝承が存在します。ひとつが、鎌倉時代後期の正応3年(1290年)下総国相馬郡を領した相馬胤村の三男である根戸三郎胤光がこの地に居城を構え、地名から「根戸氏」を称したという説です。もうひとつが、室町時代後期の文明10年(1478年)武将の太田道灌が古河公方方の千葉孝胤と戦った「境根原の合戦」(現 柏市)の際、または翌年の「臼井城攻め」(現 佐倉市)の際に、陣城(前線基地)として改修・修築したという伝承です。現存する大規模な空堀や土塁、横矢掛かりを意識した複雑な虎口(出入り口)といった城郭の構造は、戦国時代後半(16世紀後半)の技術水準を示しています。そのため、鎌倉時代や室町時代初期の砦が、戦国時代の緊迫した情勢の中で大幅に拡張・近代化されたと考えられています。戦国時代、周辺地域は小金城(現 松戸市)を本拠地とし、小田原北条氏に従属していた高城氏の支配下にありました。根戸城も高城氏の支城ネットワーク(領地を護る境界の城)に組み込まれていた可能性が高いと推測されています。また、手賀沼の水運や、対岸の船戸地区と連携した船着き場を監視・防衛する「水上交通の要衝」としての機能を果たしていたと指摘されています。永禄年間(1558〜1570年)には、北条氏尭が関宿城主の簗田氏や布川城の豊島氏と対峙した際に、前線基地として使用されたという伝承も残されています。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏および高城氏が滅亡した際、根戸城もその歴史的役割を終え、廃城になったと考えられています。近年は、地主の厚意により「北星照ラス(佐々衛門の小径)」として一部の登城路や案内板が整備されました。開発による破壊を免れた主郭や二ノ郭、それらを隔てる明瞭な空堀や土塁が良好に遺されておリ、中世城郭の縄張りを体感できる貴重な場所となっています。城跡にある「金塚(かなづか)古墳」は、古墳時代中期の小型の円墳です。柏市との境界に近い手賀沼北西側の台地(旧富勢村周辺)に築造されました。隣接する柏市の歴史や、この地域の古墳文化を紐解く上で非常に重要な遺跡として知られています。最大の特徴は、小規模な円墳でありながら、当時の最新鋭の技術で作られた鉄製の短甲(たんこう)などの武具が出土している点です。このほかにも、捩文鏡(ねじもんきょう)、石枕、立花など、当時の東国において極めて貴重かつ最高水準の豪華な副葬品が多数発見されています。これらの出土品は、当時のヤマト王権と結びつきの強かった有力な在地首長(豪族)がこの地域を治めていたことを証明しています。同じ手賀沼周辺の千葉県立博物館関連施設等で公開・紹介されることもあり、地域の歴史的価値を伝える象徴となっています。手賀沼を囲む柏市・我孫子市一帯の古代の軍事や交通、交流の結びつきを示す貴重な歴史遺産です。城跡のある「根戸(ねど)」は、古代から現代にかけて交通と物流の要衝として栄えてきた歴史ある地域です。かつて手賀沼(てがぬま)が「香取海(かとりうみ)」と呼ばれる広大な内海だった頃、主要道路と交わる根戸は物資の陸揚げ地点(物流の要衝)として機能しました。中世には「中馬場遺跡」などから東海地方の土器が出土しており、広域な交易の存在を示しています。また、隣接する我孫子市境には戦国時代の「根戸城址」があり、太田道灌の関与や小金城の高城氏らによる争奪戦の舞台になったと伝わります。江戸時代に水戸街道が整備されると、交通の利便性から定住者が増加し、上・中・下の集落が形成されました。また、手賀沼沿いでは「根戸新田」などの新田開発も進められました。昭和時代の大東亜戦争中には、周辺に陸軍の飛行場や高射砲連隊、柏陸軍病院(現在の柏市立病院の起源)などの軍事施設が相次いで建設されました。戦後はこれらの広大な跡地が開拓地や住宅地へと転換され、現在の北柏駅周辺へとつながるベッドタウンとして発展を遂げました。