上げ馬神事と古墳巡り。
猪名部神社の特徴
境内には石垣で囲まれた高塚古墳があり、見どころ満載です。
上げ馬神事で知られる地域の大切な神社です。
見晴らしの良い丘の上にあり、静かな雰囲気が漂います。
猪名部神社(いなべじんじゃ)御祭神は伊香我色男命(いかがしこおのみこと)、春澄善縄卿(はるずみよしただきょう)員弁の始祖・伊香我色男命を主神とし、“学問の神”として、「続日本後記」を著された春澄善縄卿(員弁郡出身)が祀られている。また、法隆寺、東大寺、石山寺などを建立され、世界文化遺産を生み出した名工として猪名部は優れ、“礎の神”としても著名である。本殿は前方後円墳の上に建てられ、17基もの古墳は先祖の崇高さ、尊大さを今にも伝えているものである。例大祭「大社祭」(おやしろまつり)は、毎年四月に「上げ馬」「流鏑馬」神事が奉納され、全国に二ヶ所しかない特殊神事として鎌倉の御世より伝えられている。
境内には石垣上の古墳があったり鈴鹿山脈を見渡せたりの見どころがある。
上げ馬神事で有名ですが、境内には古墳もあります、周囲を石垣で囲われた塚が高塚古墳です。正式には伊名部神社古墳群2号墳で、かつでは周囲に17基もの古墳があったそうです。神社の由緒書きにも明記されてますので、確認してみてください。
上げ馬神事で有名な古社。近年は動物虐待と批判されることもありますが、長年地元の方々が守ってきた伝統だけにこれからも長く続くことを願うばかりです。神事で使われる馬場と土塁も見学できますが、初見の際は土塁の高さに驚きました。
静かでおごそかな感じがしました。手入れが行き届いているけれど変に現代的に改造されてなくて昔のままなのがよかっです。
静かな境内で、少し丘の上にあるので景色も良い神社です。「いなべ」の字が地名と違うのは、もともと猪名部氏という豪族がこの辺りを治めていたからだそう。この猪名部氏は、建築技術に秀でており、法隆寺や興福寺の建築にも携わったそうで、「礎の神」といわれているそうです。また、祭神は「学問の神」だそう。境内にはこんもりとした丘のようなものがありますが、それは古墳です。上には登れませんでしたが、昔から同じ場所にあり続ける長い歴史を持つ神社です。本殿は前方後円墳の上に建っているとか!今回、物部氏が関連する場所巡りとしてこちらを訪れました。駐車場かどうかは不明ですが、車が止まっている広場があったので駐車可能のようです。周辺の道は少し狭いのでご注意ください。
上げ馬神事!
とても立派な神社。アオバズクは一見の価値があり、定期的に訪れたい場所。
雨でしたが、穏やかな雰囲気で心地よかったです。
| 名前 |
猪名部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0594-76-2424 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
猪名部神社(いなべじんじゃ)。三重県員弁郡東員町北大社。式内社(小)論社、旧村社。主祭神:伊香我色男之命(いかがしこおのみこと) (配祀)建速須佐之男命 天照大御神【関係氏族】猪名部氏資料によると、『創建年代は不詳。貞観元年(859年)に神階従五位下、同8年(867年)従四位を下賜。貞観15年(873年)9月9日、『三代実録』に、天皇に仕えていた掌侍、春澄朝臣洽子が旅費として官稲千五百束を賜って氏神猪名部神社に奉納したとある。以来神社の諸祭儀は何れも9日と定められた。延喜5年(905年)、式内社に列されている。この春澄高子(後に改名して洽子)は参議従三位式部大輔春澄善縄の長女で、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の5朝に出仕した。特に宇多天皇からの信任が厚かったとされる(善縄は猪名部造)。境内に大きな古墳があり、猪名部氏の祖の古墳という、これを祀る神社。員弁大神を氏神と称し、末裔の春澄氏其祭祀を奉じ来りしものならん。村邑を大社と云うも此大神の社あるより唱ふるなるべし」とある。とあります。参考として、猪名部氏の出自には諸説ある。『日本書紀』応神31年8月条に、朝廷の船五百隻を造って武庫水門(むこのみなと)に停泊させていたところ、新羅の遣の船から失火、朝廷の船が全焼したため、新羅の王はその贖罪として、自らの優れた工匠を倭国に献上した。この工匠一族が猪名部の祖という、とある。しかし、『新選姓氏録』には、祭神伊香我色男命は猪名部氏の祖神で、天孫瓊々杵尊の兄、饒速日命の六世の孫と記されている。『先代旧事本紀』天神本紀には、饒速日命が天降りした際に5人が供奉したとある。これを「五部人(いつとものおのかみ)」と呼び、このうち天津赤占あるいは天津赤星が猪名部氏の祖であるとしている。また、社伝では、猪名部氏は、攝津国(兵庫県)の猪名川周辺から移住してきたとしている。和銅6年(713年)、第43代元明天皇の勅命により、猪名部の族名が転じて「員弁」とされた。出自と直接関係づける史料はないが、この猪名部は木工建築の匠の技術を持っていたことが伺われ、天平17年(745年)8月に第45代聖武天皇の勅で始まった東大寺の建立に、猪名部氏族から猪名部百世が大工(=棟梁)として、飛騨の匠の益田縄手が少工(=副棟梁)として動員され完成している。さらには法隆寺、石山寺、興福寺の建立にも携わった記録が残り、古墳の出土品からは飛鳥寺建立にも携わっていることが知られている。とあります。