三重唯一の亀山城跡、歴史を感じる。
多聞櫓の特徴
三重県で唯一現存する文化財として指定された多聞櫓です。
江戸時代に建てられた貴重なオリジナル建造物が観覧できます。
旧東海道に位置し、亀山宿の歴史も感じられる魅力的なスポットです。
三重県で唯一現存する城郭建造物2023年11月下旬、亀山宿探訪の際に寄りました。調べると江戸時代初期1632年に本丸高石垣の上にあった天守が下ろされ、現在の多聞櫓を築造亀山城内の建物は明治6年(1873年)の廃城令で殆ど取り壊されたが、こちらは旧亀山藩の2人の藩士が惜しんで買い取り、仕事を失った武士の為に木綿段通の工場として使用することで取り壊されずに済んだ平成の大修理で多岐に渡り改造されていた箇所が取り除かれ、築造時の姿に復元三重県指定史跡、亀山市歴史的風致形成建造物の一つです。遠くから見ても美しく亀山のシンボルに相応しいと思います。土日祝の10時から16時なら内部を見学できます。
三重県内に唯一現存する城郭建造物だそうです。高さ13 Mの石垣の上に立つ伊勢亀山城 唯一の遺構です。平屋建て白壁の塗り込みが目を引きつけてくれます。息を呑むような圧巻の景観でした。城下町 亀山のシンボルとして、市民に親しまれているようです。とても綺麗な城郭でした。
明治6年(1873年)の廃城令により、ほとんどの構造物が取り壊され、現在は、天守台・多門櫓・石垣・堀・土塁などが残っています。多門櫓は県内に唯一現存する城郭建造物として昭和28年に県史跡な指定されています。城内には亀山神社が鎮座しています。周辺は亀山公園として整備されています。亀山城の資料は亀山歴史博物館に展示されています。
亀山城跡は石垣と多門檜だけが残っている城跡。多門檜に上がってみると、おじさんが説明してくれました。今残っている建物は江戸時代の造りだそうで、古いけどしっかりしているのがよくわかります。城下町に昔のお屋敷が残っており、雰囲気のある街並みです。
現存櫓として紹介される事が少ない為、訪れるまで良く知りませんでした。伊勢亀山城は、城郭の堀、石垣、天守台の一部が残され天守を失った天守台に多聞櫓が築かれたそうです。尚、全国的に残された数少ない多聞櫓で、三重県の史跡に指定されています。多聞櫓は、内部を展示しているので櫓内をじっくりと見れるのでお勧めです。
伊勢亀山城は、1265若山(亀山市若山町)に関実忠が最初に築城し、1573織田信長により関盛信が追放されるまで、関氏十六代の居城であった。三宅氏が城主の時、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝えられるが真偽かどうかは不明。1636本多俊次が城主になると亀山城の大改修に着手し、城の外周は堀が廻り、一部は谷をせき止めて水堀に。城内には本丸、二之丸、三之丸、西之丸、西出丸の曲輪があり、本丸には将軍家旅館として整備された本丸御殿、二之丸には城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられた。亀山城の別名については粉蝶城。城主は八家がめまぐるしく入れ替わったが、延1744石川総慶が城主となると、以後は石川家十一代で明治維新を迎えることとなる。明治6年の廃城令によりほとんどの建造物は取り壊され、現在は多門櫓と石垣、土塁、堀の一部が残されているに過ぎない。多門櫓は、県下で原位置のまま遺存する唯一の城郭建築として昭和28年に三重県指定文化財に指定されたらしい。野面積みの石垣をみるだけでも価値がある。
乗り換えで時間があったため途中下車して登城しました。駅から登り坂をゆっくり歩いても10分ぐらいの距離です。遺構はあまりよくわからないけど櫓と石垣はとても立派で是非時間のある方は寄っていってほしいお城です。足を伸ばして歴史博物館に行けば、亀山城や亀山宿のパンフなど多数あります。お城とセットで訪問して欲しいです。
建物の中には、入れませんが、お城はありました。
旧東海道の亀山宿にある亀山城跡。櫓の一部は再建されてます。町自体も東海道u0026城下町の面影を残していて、江戸時代の雰囲気を味わえます🌱
名前 |
多聞櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0595-96-1218 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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かつての城郭内は市街地、公共施設、学校、公園などになっていますが、一部櫓や石垣、武家屋敷跡が残っています。