宇利城へ、景色と歴史を求めて!
宇利城跡の特徴
宇利城は松平氏と家康派の歴史が息づく場所です。
目印の看板が豊富で、迷わずに城跡を目指せます。
駐車場からは美しい景色を楽しみながらの散策が魅力です。
こういう場所にしては、しっかりとした駐車場があり、場所も要所要所に見やすい矢印看板があります。道は、わかりやすいです。本丸までの道は歩きやすいですが、緑色の石は、湿度の高い日には滑りますので、足元に気をつけた方が良いと思います。途中、御馬屋平へ行く看板が出てきますが、道が細く、シダや雑木が茂り、倒木などもありますので、オススメしません。そちらの道、参考までに足を写り込ませた写真を載せておきます。所により、幅20センチくらいの獣道のようなところがあります。歩行者のすれ違いも、道が崖側に傾斜しているので、注意が必要です。結局、茂みが深くなり、この日は軽装だった為に危険と判断し、途中で引き返すことになりました。城址は、眺望はありませんが、建物は無くても地形などから歴史を感じられ、素敵な所です。ちょっと立ち寄って歩くのに、とても良いと思います。写真掲載は控えましたが、周りには、古い石垣や石碑、曲輪、堀の跡が残り、見て回ると面白いと思います。御馬屋平への道がもう少し管理されていたら、星もう一つ付けてもよかったな、と思います。
松平氏が今川から奪い、また奪い返され桶狭間合戦の後でフリーになった家康派で平定した城ですね駐車場は中宇利交差点脇に8台程無料で停められます駐車場の経路案内看板を見てから出発です途中にも案内看板があるので分かりやすいです城跡登り口まで10分弱、そこから標高差90mの山登りです、落ち葉の道で特に下りは注意、トレッキングシューズ推奨ですね最初にある看板で御馬屋平へ向かいますがかなり危険な滑落注意道で木を掴んで登る場所もあります御馬屋平はただの平らな雑木林ですので行かなくても良いかな〜本丸方面に歩くとまずは戦死した松平親盛のお墓、手を合わせて先へ進みます、左手に石垣の看板があります、そちらに少し歩いてシダで隠れた道を降りると右側に井戸があります、その先50m程先に石垣があるのですが道はシダの葉で隠れて石垣も隠れていますこちらも井戸から先はオススメしませんね本丸と向かいに姫御殿の曲輪があります、姫御殿は草ボーボーですね本丸には石碑と説明板に縄張り図よく読んで周囲を歩きましょう高い切岸はなかなかの防御力を感じます物見櫓の横のシダの葉で隠れた道を降りると納所平の曲輪です納所って倉庫の事かしら?この辺りに浅い堀と犬走り土塁らしき物が見受けられました同じ道を注意して戻りますお疲れ様でした。
愛知県新城市の宇利城を訪ねました。今川氏に属していた熊谷氏を討つ、松平清康の猛攻を受け落城しました。その際、清康の叔父、松平右京亮が戦死しています。その後、菅沼氏が城主となりますが、今川氏の侵攻により近藤氏が在城することになります。桶狭間の戦いの後、徳川氏に属します。武田氏の侵攻を受けますが守り抜きます。幾多の戦いを経た堅固な城、初期段階の石積も随所に見られて見応えのある山城でした。
駐車場から宇利城址までは約30分程度かかりますが、案内板もありますし、景色が綺麗なので楽しみながら歩けます。子供も楽しみながら歩けていました。途中から山道に入るので、虫除け対策が必要になったり、木の根などで滑らないように、足元にはご注意下さい。
2020年8月3日行って来ました。駐車場から宇利城跡入口までは歩いて5から6分ぐらいですかね。頂上までは休み休み登っても30分はかかりませんね。手すりなど無いので靴は滑りにくいのを選んだ方が無難です。散策自体は登りで直ぐに始まるので周りを見ながら行くのが楽しいですね。
本丸までの道は整備されていますが石垣までは藪こぎその他の曲輪までの道も難あり苔が生えた石で普通に滑って転んでしまい要注意!
YouTubeで検索すると動画があります。登城の際に見て行くことをお勧めします。
16世紀前半くらいの山城だが、それにしては“石垣”があるのはなぜだろう?駐車場から本丸までの案内は非常に親切。
駐車場からの道中は大変いい景色で癒やされます。城跡も程よい山道で気持ちいい。
名前 |
宇利城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/kinenbutu/siseki/kensitei/0888.html |
評価 |
3.8 |
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宇利城は三河と遠江の境界近くにある境目の城である。標高163mの山の山頂付近に展開する山城である。麓からの比高は90m程度。駐車場から距離があるが、案内板が複数あるため迷わず登城できる。登山道は整備されており、登りやすい。主要部分は整備されているが、ロープが張られ入れない箇所も複数ある。主要部分以外は案内板が立っていても、草が刈られていなかった。遺構としては曲輪、堀切、土塁、一部石垣、井戸などが確認できる。城域は広くはないが、コンパクトにまとまっている印象である。宇利城は遠江の今川氏傘下の熊谷氏(熊谷直実の末裔)の城であったが、1530年に松平清康(家康の祖父)に攻められ落城した。その後、再度今川氏方が宇利城を奪回したが、桶狭間の戦いで今川義元が討死し、家康が再度奪還。以後、徳川氏(松平氏)の城となった。