歴史に触れる、難波宮跡公園の魅力。
歩兵第八連隊跡碑の特徴
歩兵第八連隊跡碑には英霊の歴史が息づいています。
大きな石の塊が印象的で、訪れたら必見です。
難波宮跡の近くに位置して散策に最適です。
英霊の方々の歴史が残されています。ありがとうございます。
我が帝国陸軍は永遠に不滅です。又も負けたか8連隊、それでは勲章9連隊、それでは陣地も10(と)連隊。等と言われたが8連隊は常勝連隊なのである。
昭和7年11月14日に歩兵第八連隊跡石碑と天皇訪問を意味する御臨幸之趾が並び建てられています。場所は難波宮跡公園南北道から公園を見て車両出入口右手にあります。第二次大戦中大阪城とこの難波宮跡地には陸軍の建物と兵器類が並び置かれていたそうです。話は少しずれますが、今現在、大阪城に並び建つミライザ大阪城(MIRAIZA OSAKA-JO)という複合施設があります。施設の中はニンジャ体験、お土産、ファストフード、レストラン、ビアガーデンなどがあります。これは当時の当時の陸軍庁舎です。廊下や階段などの広さと雰囲気が当時の面影を残しています。
日本陸軍歩兵第八連隊。萩の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・日独戦争(第一次世界大戦)・第二次世界大戦と歴戦しています。しかし、八連隊は『またも負けたか!八連隊!』の七五調で大変名高いですが、いったいどこでどの様な負け方をしたのでしょうか?気になります。何れにしても大変御苦労様でしたと言いたい。
難波宮跡の西側を散策すれば大きな石の塊があるのにきずく。そこには歩兵第八連隊跡と刻まれている。昭和20年8月の終戦の日まで、ここに第八連隊の兵舎群がコンクリ-ト塀に囲まれ、ぎっしりと並んでいたのだ。第八連隊といえば明治始めの変な俗謡「またも負けたか八連隊」や大阪人の自虐をこめたユーモア精神で知られるが、実際の八連隊は勇猛果敢、敵に不覚を取ることは一度もなかった。西南、日清、日露を経て第二次大戦まで歴戦の師団だったのである。他の自慢の師団や連隊が壊滅していく中で、第八連隊の戦闘は群を抜いて勇敢、秀でていた。難波宮跡に立ち、辺りを見渡せば、厖大な兵舎群は影も形も無く消え、青々した緑の絨毯があるばかりだ。
| 名前 |
歩兵第八連隊跡碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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難波宮跡公園にある「歩兵第八連隊跡碑」は、かつてこの地に日本陸軍の拠点があったことを示す歴史的記念碑です。ました。難波宮が「古代の宮殿跡」として整備される前、この場所は長く軍用地として使用されていて、歩兵第八連隊の兵舎は1969年(昭和44)頃まで残っていたと言われています。そして、1975年(昭和50)4月にかつての隊員たちの親睦団体「歩八会」によって表門があった付近にこの碑がつくられたそうです。