小牧・長久手の戦跡、時を超えた静けさ。
久保山砦跡の特徴
天正12年の小牧・長久手の戦いに関連した歴史的な砦です。
熊野神社の左側に位置し、アクセスが良好なスポットです。
周囲は木が生い茂り、当時の面影を感じられる場所です。
1月初めの17時30分前に行ったのですが、人っ子ひとりいず、真っ暗で何も見えませんでした。また、明るいうちに再度行きたいと思います。
2020.03.13訪問熊野神社の左側の少し奥に砦跡の表示が有ります。直ぐ西側は険しい崖に成っています。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの折り、秀吉方が築いたとされる砦の跡。「外久保砦跡」とも呼ばれる。砦の規模は東西二十三間、南北十六間あった。長久手での合戦後、豊臣秀吉がこの砦で全軍を指揮したと伝えられており、そのことからこの砦が築かれた久保山を「太閤山」とも呼ばれた。神社本殿裏は雑木林に覆われていましたが意外にも平坦でした。
神社の裏手に石碑がある。手前の公園から段差がある斜面が見えるが遺構かどうか解らない。
ここは小牧長久手の合戦時に豊臣秀吉方の砦で、すぐ横には太閤山が有るが 今は木が生い茂り小牧山を望む事は出来ない。
石碑と看板と壕らしきものがある。
名前 |
久保山砦跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://ss-yawa.sakura.ne.jp/menew/zenkoku/shiseki/chubu/kuboyama.sj/kuboyama.sj.html |
評価 |
3.6 |
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天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの時に、羽柴秀吉軍の丹羽長秀の陣として築かれた砦です。案内板は久保山砦となっていますが、「外久保砦」の名称の方がより正確だと思われます。合戦時は秀吉自らがここに来て指揮を執ったことから、「太閤山」とも呼ばれているそうです。神社の裏手を少し登った山頂に小さな石柱がありました。