揺るぎなき守護者、古知野の赤童子。
勅願山 長幡寺の特徴
赤童子の地名由来となった、歴史あるお寺です。
江南市内の寺の門前で見られる霊場の石柱があります。
恵比寿さまが祀られており、信仰の深さを感じます。
赤童子の地名の由来となったお寺です。その赤童子は外からは拝めませんでした。
江南市内の寺の門前でたまに見かける古知野町廿一大師霊場の石柱。ここに古知野町廿一大師霊場の札所名が刻まれた弘法大師壹千百年御遠諱報恩塔がありました。大正十二年(1923)に当寺住職らが発起人だったことから11年後の昭和九年(1934)の御遠諱に刻まれたようです。地名も併記されているので、すでに廃寺になってしまった霊場の存在も知ることができます。1番の長幡寺と同所で2番に阿弥陀堂とあるので、この頃は境内に観音堂の他に阿弥陀堂もあったことがわかります。また観音堂は蓮命寺の別名で番外にありました。
”赤童子(あかどうじ)町”という地名の由来寺明治時代、栄村の役場がここに置かれた場所地域の「揺るぎなき守護者」長幡寺は、勅願山と号し,寺伝によると延暦寺3世の慈覚大師が仁寿2年(852年)に草創したという古刹です。不動明王を本尊としており、草創当時、明王院と称したといいます。14世紀の南北朝時代には南朝の祈願所となり,勅願山長幡寺と改められ、長野村萬徳寺(現,稲沢市)の末寺として栄えました。地名の赤童子町の由来は,この寺の不動明王の脇侍(きょうじ)が赤かったことといいます。脇侍とは、仏教彫刻(仏像)において、中尊(中央に位置し、信仰の中心となるほとけ)の左右に控える菩薩や明王、天などのことを指します。中尊により脇侍も決まっています。長幡寺にある、不動三尊 の場合、中尊は不動明王左(向かって右)に矜羯羅童子(こんがらどうじ)右(向かって左)に制多迦童子(せいたかどうじ)とされます。つまり、この脇侍の童子2体が赤く染められていたという理由になります。当時としても特徴的であったため、名前の由来となりました。天正12年(1584年)に中興され,明治になってからは栄村の役場がここにおかれ,学校教育の場にも貸与されるなど地域の発展に貢献しました。境内には観音堂があり,慈覚大師作と伝わる観世音菩薩が安置されかつては尾張三十三観音の第28番札所だったといいます。また観音堂内には恵比寿もまつられ,尾張七福神の霊場の1つになっています。現在では、槍ヶ岳開山の播隆上人筆の「南無阿弥陀佛」の石碑が建ち、奈良県にある牡丹で有名な長谷寺の末寺。伊勢湾台風で倒壊した本堂も昭和49年に再建され庫裏も新築され景観を整えられ、見事に整備されています。不動明王は密教特有の尊格である明王の一尊で大日如来の化身とも言われます。「智慧」と「慈悲」を象徴した仏です。梵名を直訳すると「揺るぎなき守護者」となります。まさにこの地域を守る、お寺さんです。
恵比寿さま。七福神の中で唯一の日本の神様です。漁業の神様で、特に商売繁盛の神様として信仰が厚い。
| 名前 |
勅願山 長幡寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0587-55-2517 |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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