松倉城跡で歴史探訪!
松倉城跡の特徴
松倉城跡は歴史上価値のある史跡です。
堤防沿いにある案内板が印象的です。
城跡巡りに最適なスポットとして人気です。
籔状態でわかりずらい感じですが、わずかに土塁かなと見える箇所があります。説明板があります。駐車スペースが河川敷よりに1台ぶんあります。
歴史上価値が有ると思います。
読んでないので分かりません。
松倉城の跡です。信長に仕えた川波衆の坪内氏の城で、秀吉が蜂須賀小六、前野将右衛門らと墨俣一夜城を造るときの根拠地になった場所のようです。坪内氏はその後徳川家に仕え、江戸時代は旗本としてこの地を領したようです。若き秀吉たちが、岐阜城が川越しにはっきり見えるこの地で、岐阜城攻略に相談したと思うと、ロマンを感じる場所です。
松倉城跡(/≧◇≦\)
堤防沿いに案内板が佇んでいます。その下には樫大神の石碑と案内板が。
下記、松倉城跡にあった看板の内容です。.この地(松倉上ノ島)は、坪内氏の古城跡である。戦国の頃、加賀国の富樫の庶流坪内内藤左衛門尉頼定が尾張国に来て、犬山城主織田信康に仕えた後、天正16年(1547年)に初代松倉城主となり松倉を領地とした。4代目城主坪内玄蕃頭利定は織田信長に従いたびたび合戦に臨み、武功を輝かせた。しかし、信長没後は羽柴秀吉と不和となり本領を離れ、一時、金山に退くことになる。たまたま天正18年(1590年)徳川家康に迎えられることになり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦には井伊直政の軍に属し抜群の戦功をたてた。その功により家康から直々に感状を賜り、翌年、羽栗・各務両郡において6533石を賜ることになった。その後、坪内氏は旗本を仰せつかり、坪内宗家は江戸に出府し、幕府組織の中で重要な地位を占めた。とのこと...。現在は看板が建ってるだけの場所ですが、戦国の世では、重要な拠点だったお城です。
城🏯城跡巡りで行きました!説明板があるだけですが堤防からの眺めは良かったですよ!
名前 |
松倉城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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母方の坪内家の城でした。