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名前 |
千林尼の石畳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
安政4年(1857年)船木逢坂観音堂の堂守になった「千林尼」は、船木、小野田を行き来する人馬の苦労を見かねて自ら托鉢してお金を集め、道を整備して石畳を敷いたり、川に橋を架けたりしました。千林尼は、宇部市西岐波大沢に生まれ、16歳で結婚、まもなく不縁になり仏門に入りました。逢坂観音堂の堂守をしながら道を整備し、晩年は山陽町吉部田の「玉泉庵」に移り、明治2年(1869年)そこで亡くなりました。